COOL BLUES Charlie Parker in Canada 1953 Mark Miller 左-原作本 右ー翻訳本 |
Preface(はじめに)
Cool Bluesの中心人物は、Charlie Parkerである。しかしながら、Cool Bluesの物語には、世間によくある一人の人物の物語以上のものがある。
Cool Bluesは一人の人物の出現についての物語だが、その人物とは、2つの特別な場所で2つの特別な時間を持った、重要な伝説のミュージシャンのことである。
2つの場所とは、MontrealとTorontoのことであり、2つの時間とは、1953年の2月と5月のことである。
Cool Bluesはまた、Parkerの伝記の小さな一部分にすぎないが、ジャズ史のみならず社会現象史の視点からはより大きな部分を占めている。
全体の構成は分けられる。大きく2つの出来事があり、1つはMontrealのJazz Workshopの甘い言葉に乗せられてCBCのテレビ放送とChez Pareeで演奏したこと、
もう1つはNew Jazz Societyのスポンサーにより、Dizzy Gillespie、Bud Powell、Charles Mingus、そしてMax RoachとともにMassey Hallで出演したことである。
また、これらの出来事がどのように記憶されてきたか、という観点もある。それは、Parker及び彼と一緒だったミュージシャンたちがやり遂げたものとして、
知られていることについてである。あるいはまた、そう見做されていることについてである。これについては、TorontoよりもMontrealでの方が、より手に取るように
詳しくなっている。
Jazz Workshopの演奏はMontrealジャズ史上確かに重要なものだったが、Parkerの伝記の記録においては比較的ぼんやりとしたものになっている。一方、Torontoでの
コンサートは、90年以上もあるジャズ史の中でもっと多かった最も有名な出来事の一つで、次にMassey Hallが許されたのは、カナダ出身の最も認知されたジャズマン
の中で唯一、Oscar Petersonだけであった。
私がCool Bluesに着手したのは、こうした精神を拠り所としている。ここにあるのは、たとえ出演者の多くがCharlie Parkerをいの一番としてアメリカ人であろうとも、
カナダ人の物語である。まさしく、カナダにおけるジャズ史の大部分において、アメリカのミュージシャンは完全な参加者として、あるいは遠方にいる模範として、
直接間接を問わずに役割を担っていた。このことは純粋に、カナダ人とアメリカ人との関係、すなわち、カナダ人にある自分たちは違うんだという過剰な自意識と、
アメリカ人にある不屈の影響力との関係を学ぶためのつかの間の方法において新たな例示となるのである。
Cool Bluesに描かれている出来事は、36年前に起きたものである。36年というのは、Charlie Parkerにとっては自分の一生よりも長い時間である。
今日存命な当時のミュージシャンにしてみれば、36年というのは単に長い時間である。そう、Montrealでの三晩とTorontoでの一晩に起きた特別な出来事を思い出すには
長い時間である。まさしく、忘れ去られるのには十二分な時間なのである。
ParkerのJazz WorkshopとMassey Hallでの公演を再現しようという試みは、すべからく当時参加していた人々の記憶に依拠している。ミュージシャン、企画立案者、
ファンの類等である。同じ固有の出来事でも、個人個人で観る角度がすこしずつ異なるからである。
(中略)
私がMassey Hallコンサートを知ったのは、世界中のジャズファンが知ったのと同じで、つまりレコードだった。私が嬉しかったのは、Torontoの地で一介のイベントが
「かつてない最高のジャズコンサート」と高々に謳われたことだった。
私は好奇心から、どのように、そしてどうしてMassey Hallコンサートが行われたのか、知りたいと思った。
ParkerのJazz Workshopにおける演奏に関しては、その後に、Montrealにおけるジャズの伝説や言い伝えを雑にそして駆け足で参照して知るようになった。もっと知り
たいという好奇心に駆られた。Cool Bluesは、こうした好奇心の産物である。
|
日本語版について
本書は、COOL BLUES Charlie Parker in Canada 1953 Maek Miller Nightwood Editionsの全訳です。
1989年発行の本書は、翌年7月30日発行の季刊ジャズ批評No.68、本の紹介欄に掲載されました。出版社名、住所が明記されておりましたので、早速手紙にて注文。
著者のサイン入りで、間もなく入手しました。
英語に弱い筆者でしたが主要部分だけでも訳し、本HPのコレクターズ・ノートに記そうと考えておりましたが、永い時間が経過してしまいました。たまたま幸いなことに、
熱烈なパーカー・ファンの山田チエオさんに出会い、この本の話を出したところ快く翻訳を引き受けていただきました。
1953年2月のモントリオール、同5月のトロントにおける、重要な伝説のミュージシャン、チャーリー・パーカーの物語を日本語で楽しむことが可能となり、嬉しい限り
です。山田さんには、感謝の気持ちで一杯です。
原書記載のディスコグラフィも古く、最新版のものを追加記載しました。
原書の出版社の意向で、定価設定の上、出版という形態は取れず、パーカーおよびジャズ・ファンの読者の皆さんによる寄付金で制作し、かつ50部限定の印刷という
形になりました。
下記に、目次と写真の一部をご紹介いたします。
|