RARE LIVE RECORDINGS RLR 88641-2 (2CDs)

RLR 88641-2

RARE LIVE RECORDINGS RLR 88641-2 (2CDs)

    ライナー・ノートを和訳してもらいましたので、紹介いたします。
[ It is a Japanese translation of liner notes of RLR 88641-2 ]

Charlie Parker (interviewed by John McLellan, Boston, June 13, 1953)

PARKER:
 そうだね、俺はデキシーランドが好きだよ。まあ、いいデキシーランドがね。ただ演奏はしないよ。俺はほとんどと言っていいくらい、いい仕事をしないだろうからね。ともかく、俺はただ、デキシーランドは別の方向に進むだろうと思っているよ。
McLELLAN:
 確かにそうですね。では、あなたが言及していたように、ビバップも演奏しないし、デキシーランドのお決まりの演奏にも飽きてしまったミュージシャンたちはどうですか。私には、彼らの音楽を何と呼べばいいのかということですら、わからないのです。つまりその、Vic DickersonやDoc Cheatham、それにRex Stewartといった人々、デキシーランドのひどい中毒というほどにはなっていないものの演奏はする人々のことを、どう呼んだらいいだろう?
PARKER:
 そうだねえ、スウィング期に発展してきたということに関してかな。俺の考えるデキシーランドは1914年か1915年に開花し、そのあとスウィング期が1928年に始まって1935年か1936年まで続いた。俺が思うに、彼らは、言うなれば、どこかのカテゴリーに入れなくちゃならないなら、スウィング期ということになるだろうね。
McLELLAN:
 もちろん、そうですね。彼らの多くが今もデキシーランドに関わっていますね。例えば、最近、Nat HentoffはDown Beat誌でこう指摘しています。彼らの多くが非常に骨の折れる仕事と感じている。というのも、大衆つまり聴衆の側の方がとても荒っぽくデキシーランド派とクールミュージック派に分断され、中道を行くスウィングのミュージシャンの入り込む余地がないように見えますね。
PARKER:
 そうだねえ、俺の見方は違うなあ。実際、俺の考えは違うんだ。いつだってミュージシャンには活躍の余地があるものだよ。そもそも中道というものはあり得ないよ。あるのは、一方か他方か、つまり、いい音楽かそうじゃないかということだけさ。スウィングだのビバップだの、あるいはデキシーランドだの、何と呼ぼうと、また、作風がどうあろうと、そこには違いなんかないのさ。いい音楽なら聴かれるということさ。


 The Rockland Palaceはダンスホールで、1952年9月26日は、特別な出来事のあった日だった。その日のダンスは、Benjamin J. Davisの名誉を祝して企画されたものだった。彼はアメリカ共産党の幹部にしてThe Daily Worker紙の幹部でもあった。Davisは、合衆国政府の転覆を教唆したり扇動することを違法としたスミス法により、1949年に有罪判決を受けた後、5年間の禁固刑を言い渡され刑務所にいた人物である。 5時間以上に亘り続いたその晩の収益金は、"The Provisional Committee for Amnesty"(訳注:恩赦のための予備委員会)のための基金に寄付された。隔離政策と人種差別に反対する運動家として、Davisはハーレムの英雄で、1952年には14,000人以上の人々が彼の釈放の嘆願書に署名をした。
 Charlie Parkerがどの程度政治的に関与していたかは知られていない。しかしながら、保存されている彼のすべてのインタビューが証左となって示していることは、彼は明らかに、 人種主義といった自分に直接影響を及ぼすような問題について、心を開いていた人間だったということだ。時として、これとは正反対の態度をとるようなアフリカ系のミュージシャン、例えば白人のジャズマンを公然と批判したMiles Davisのような人物もいた。(だが、彼は、たとえ言うことが正しい場合でも、Bill EvansやGil Evansとの共演に見られるように、彼らの音楽的才能を称賛できるならば、そういった人々を雇うことに躊躇することは決してなかった。)
 Charlie Parkerは、いつも、音楽によって、いかなる人種的辺境の存在に対して異を唱えていた。Rockland Palaceのイベントの時までに、Birdはユダヤ人と白人のハーフであるChan Richardsonと結婚した。彼は彼女との間に二人の子供を儲け、そしておそらく彼女の考え方というのもまた、彼に大きな影響を与えた。「混血のカップルでいることは骨の折れることだったわ」と、1998年のインタビューでChanは語っている。「けれどもね、全然、退屈はしなかったわ。私は、ウェストチェスター郡 のユダヤ人とのハーフだったの。そこにはどのような市民権もなかった頃に、私は市民権を求めて立ち上がったわ。けど、ただそれだけ。不安なんかなかったわ。私は、本当に気分が害されるようなことは全くなかった。そうねえ、ほら、人々が通りやそこらで私たちをおかしいと思って見ているような時、Birdは大変に誇らしげに振る舞ったし、私は彼が私の近くにいることがわかると、私もそんなふうに振舞った。だから、本当に、私は気分が害されるようなことはなかったし、 私は気分が害されることを許すこともなかったわ。実際問題、私には前の結婚で生まれた5歳になる娘がいたから、Birdと一緒に暮らすことに躊躇したの。当時、黒人男性に育てられることに、私は困惑したわ。すると、娘は私に言ったの。そう、子供というのは肌の色には無頓着なものね。『それは違うわ。あたしは毎朝、学校に行くとなると吐き気がしたものよ。大嫌いだったわ。でも、初めてBirdがあたしの手を取って学校まで送ってくれた朝は、何の問題もなかったわ。』ってね。 こうして、彼女はBirdを尊敬するようになったのよ。」

 Rockland Palaceでの出来事の重大さを考慮しても、Birdは彼の有名なユーモアのセンスをお披露目することを厭わなかった。歌手のPaul Robesonが、彼はまたコンサートで演じる活動的な左翼だったが、"Water Boy"を歌っている時に、サックス奏者がバリトン歌手にコップ一杯の水を渡そうとステージに駆け上がったのである。

   前述したように、イベントは5時間以上も続き、Parkerは数多くのセットを演奏した。その中には、時にはMundell Loweのギターを含むクインテット(Birdはサックスだけだが)、時にはstring sectionを加えてのものも含まれた。1952年までの2年間に、Birdはstringsとの演奏をしてきており、その形態が聴衆を魅了するような場合でも、Birdは同じ古いアレンジには飽きていた。しかしながら、Rockland Palaceでのいくつものセットでは、彼は信じられないような素晴らしい魂を見せ、  そしておそらくは彼の最愛のChanが彼の演奏を録音していることをわかって、彼はすべての曲目に最善を尽くしているように見えた。Lester Youngの"Lester Leaps In"での彼の演奏は、彼の最上級のディスコグラフィーにおける真のハイライトであると正に見做されるものである。それは、彼の伝記的な特徴のある映画"Bird"を手掛けたClint Eastwoodによって用いられた。これは、Parkerにより演奏されたこの曲の唯一のバージョンとして知られている。同じことが、Gerry Mulligan の "Turnstile"  というタイトルでも知られる"Gold Rush"にも当てはまる。そしてラテンナンバーである"Sly Mongoose"は、2つの素晴らしいバージョンが幸運にも残っている。(Birdは確かに、このイベントの何年も前にこの曲を覚えた。そのことは、珍しくも近年発見された1945年12月17日に録音されたDizzy GillespieとのBilly Berg'sからの放送において彼がこの曲を引用していることが物語っている。訳注:52nd Street Themeに引用の痕跡が認められる)

  Rockland Palaceでの演奏の大半はChanの録音したテープからのもので音も良好だが、いくつかの曲は明らかに別の人物が別の場所で録音したもので、いささか音質も劣っている。すべての曲は可能な限りより良い音源のものを採用しているが、いくつかの曲については、セカンドベストの音源によるしかないものになっている。このため、音質は時々少しだけであるが、一様ではなくなる。また、非常に長丁場のイベントだったことを考慮すると、いくつかの曲については不完全なものになっているのも、 驚くようなことではない。何人かのディスコグラファーは、その晩に録音されながら依然として未発表のものがあと6曲あると主張さえしているが、これまで確認されてはいない。聴衆に向けた演奏に加えて、テープはまた、Birdによるサックスのウォーミングアップの様子を伝える短い代表例を2つ捉えている。これは通常ディスコグラフィーでは、"Noodling"と表記されるものである。

 この並外れた長い演奏のほかに、ボーナストラックとして、Parkerの名に因んで名づけられたクラブBirdlandからの珍しいラジオ放送を3つ収録している。1つ目は、2曲から成るもので、この時は彼のアルトサックスだけのカルテットによる演奏になっている。この時の演奏は、Rockland Palaceのイベントのわずか6日前の放送されていない録音である!そしてCharles Mingusがベースを演奏している。2つ目の放送は、Red Rodneyをトランペットに据えたクインテットによるもので、  Charlie ParkerとピアニストのKenny Drewの唯一の共演として知られるものである。残念ながら、この時のセットの音質はベストではないが、にもかかわらず、Birdは最高の姿を現している。アナウンサーは、Bob Garrityが務めている。最後の放送は、再びBird with stringsの特徴を見せるもので、Rockland Palaceでの演奏に酷似しているが、その1年半ほど以前のものである。(当時Bird with stringsはBirdlandで本物の成功を収めていたが、あまりに長い間、陳腐化した同じアレンジを  毎日演奏することに彼が飽き飽きしていたというのも、驚くようなことではない。)この最後のプログラムのアナウンサーは、Symphony Sid Torinが務めている。やはり音質は完全ではないが、いつものように、Birdは実に見事なベストな演奏を再び見せている。

Matias Rinar

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