未発表テイク VOL.25     W855.2


“オープン・ドア”セッション '53年(第二部)
パーシング・ボールルーム 1950年(完全版)


収録曲

  1. I REMEMBER YOU (3:03)
  2. ALL THE THINGS YOU ARE (4:13)
  3. JUST YOU, JUST ME (2:00)
  4. I'LL REMEMBER APRIL (4:16)
  5. HOT HOUSE (3:16)
  6. 52nd STREET THEME(II) (3:01)
  7. I COVER THE WATERFRONT (2:28)
  8. THIS TIME THE DREAMS ON ME (4:14)
  9. I'LL REMEMBER APRIL into
        52nd STREET THEME(III) (3:13)
Open Door, NYC,
July 26th, 1953
3rd set(track 1 to 6)
4th set(track 7 to 9)
Charlie Parker(as),Benny Harris(tp), Al Haig, Bud Powell(p),Charles Mingus(b),Art Taylor(ds).
  1. INDIANA (6:00)
  2. I CAN'T GET STARTED (2:53)
  3. ANTHROPOLOGY (5:24)
  4. OUT OF NOWHERE (2:51)
  5. GET HAPPY (5:40)
  6. HOT HOUSE (5:09)
  7. EMBRACEABLE YOU (2:04)
  8. BODY AND SOUL (2:19)
  9. COOL BLIES (3:18)
  10. STARDUST (1:01)
  11. ALL THE THINGS YOU ARE (3:12)
  12. BILLIE'S BOUNCE (3:17)
  13. PENNIES FROM HEAVEN (3:23)
Pershing Ballroom,Chicago.
Early set(track 10 to 14)
Late set(track 15 to 22)

 オープン・ドア(第2部)VOL.25
 この事件が終わってから、マクリーンのアルトを借りて仕事をした。翌日、バードはホーンを質入れしてしまった!。
 これらの全ては、(訳注:バードの性格を語ることとして)1955年3月12日にケーニヒスウォーター男爵夫人がバードが死んだのをチャンに告げるために同じオープン・ドア中を捜し歩いたことにも当てはまるのである!。(ちょっと意味不明。バードは3月12日土曜日8時45分頃、スタンホープ・ホテルの男爵夫人居室で死亡)
 ボブ・ライズナーはオープン・ドアが優秀なミュージシャンたちにとって演奏するのに十分な広さが有ると思った。(訳注:広ければ入場料だけでギャラがまかなえると考えた)
 オーナーのソル・ヤッフェはライズナーにセッション運営の全権を与えた。私はクラブにはバーがあったと思う。
 最初の日曜日のセッションは1953年4月26日に行われた。それは丁度、音楽が提供され始めてから3ヶ月目のことで、バードがオープン・ドアで演奏したがっているニュースをデイヴ・ランバートがライズナーに知らせたので実現したのである。
 ライズナーは単純にセッション・デイトを“ボブ・ライズナー・プレゼンツ・バード”と広告した。
(訳注:日本チャーリー・パーカー・協会会長辻真須彦氏所有の広告実物によると、1953年または54年6月6日日曜日のセッションでは......
  BOB REISNER PRESENTS "BIRD"-
CHARLIE PARKER AND HIS ALL STARS-
BREW MOORE (ts);WALTER BISHOP Jr (p)
ART MADIGAN (ds);TED KOTICH (b).
時間 9:30PM--2:00AM となっている。訳者の愛好するブリュー・ムーアとの共演は是非聴きたいものである。メンバー名は誤記があるが現物通り)
 グループはユニオン・スケールより高いギャラを貰い、バードには歩合が支払われた。パーカーのオープン・ドアでのラスト・セッションは、彼がフラリと入ってきて吹いた予想外の出来事としてだった!ライズナーがバードを最後に聴いたのはグリニッチ・ヴィレッジのバロー通15番地の“カフェ・ボヘミア”で、ついでに言うと4人のミュージシャン以外に誰も居なかったのである!。ライズナーによるとボヘミアでの演奏はバードのベスト・プレイだった、としている。
(訳注:ボブ・ライズナーの回想では、バードは一晩中演奏した。彼は又その日の午後、近所のカフェ・ボヘミアでバードを聴いていて、店に居たのはライズナー、手伝いの男と、4人のミュージシャン;テッド・ウォルド(bass),ビル・ハイン(dr),ウォリック・ブラウン(p),“フェイス”と言う名のトランペッターだけで客は一人もいなかったが、演奏は今まで聞いたことが無いほど素晴らしかった。と書いている。日時は不明だが1954年10月30日土曜日にタウン・ホールでコンサートをプロモートしているから、その前のことと思われる。御教示を願いたい。)
 私はカフェ・ボヘミアは1955年3月21日にオープンしたと言われているので、この事については疑問を呈さなければならないのであるが........それは“ボヘミア”と名前が変わる前に、ずっと“パイド・パイパー”と呼ばれていたのが、最も有りそうなことだからである、と考えられるからである。

演奏(第3及び第4セット)
I REMEMBER YOU:
めったに録音されないバードのご馳走。その時代のポピュラーチューンだ。バードは熱情的に飛び込み、しかもそれはスィングするバップ・ヴァージョンである。
ALL THE THINGS YOU ARE:
コードから来たメロデイの美しさを拒否すること無く複雑な倍テンポで彩られた優秀な演奏である。バードは1945年に彼が案出した有名なイントロを未だに使う。
JUST YOU JUST ME:
1940年代にレスター・ヤングによりポピュラーになったスィングする曲。バードはこれにバッピッシュな効果を付け加える。トランペット・ソロのフェイドアウトで終わる。
HOT HOUSE:
“ホワット・イズ・ジス・シング・コールド・ラヴ”に依る、このダメロンの曲は何時も演奏者の最良のものを引き出すように見える。ここではアート・テイラーのドラム・ソロがフィーチュアされる。
I COVER THE WATERFRONT:
バードのもう一つの美しいバラード。彼は何時ものように我々をつき動かし、叙情的である。このようにバラードとアップテンポを同等に演奏出来るプレーヤーは非常に希なのである。
52nd STREET THEME:
第4セットの最後のこの曲が終わってから、バードは聴衆に注意を喚起して、こう言う。「ここにワン・アンド・オンリー・バド・パウエルがいるのは事実であります」と!。
彼は何処にいて、ソロは何処に有るのだろうか?
 ロバート・ブレグマン
 訳: 小田 弘一 

 なお、VOL.24にはバド・パウエルとエラ・フィッツジェラルドのいる1944年のクーティー・ウイリアムズ・オーケストラのライヴが、VOL.25には1950年10月23日のシカゴ・パーシング・ボールルームでのバードの有名なライヴがある。


Photo 22
The funeral-pallbearers are Leonard Feather(L.) and Teddy Reig(R.):Charles Mingus is in the doorway(far R.) by Down Beat, March 11, 1965