未発表テイク VOL.5/6     W19/29-2


バードランド、ニューヨーク、1950.2.14.
ヴェテランズ・ホスピタル、フイラデルフィア、1951.
+シカゴ・セッションズ 

収録曲

  1. GROOVIN' HIGH (long) (5:32)
  2. CHARLIE PAEKER QUINTET:
    C.P(as);Red Rodney(tp);Al Haig(p), Tommy
    Potter(b);Max Roach(ds).
    Pershing Ballroom,Chicago,Nov',1949.
  1. HOT HOUSE (3:33)
  2. OUT OF NOWHERE (2:20)
  3. VISA/52nD STREET THEME (3:19)
  4. ANTHOROPOLOGY/WEE (4:21)
  5. WHAT'S NEW (2:26)
  6. LITTLE WILLIE LEAPS (3:06)
  7. YESTERDAYS into
       52nd STREET THEME (3:17)
  8. DIZZY ATMOSPHERE (3:44)
  9. WAHOO (4:16)
  10. I CAN'T GET STARTED (1:09)<
  11. WEE/52nd STREET THEME (4:38)
  12. SLOW BOAT TO CHINA (3:33)
  13. A NIGHT IN TUNISIA into
       52nd STREET THEME (4:23)
    CHARLIE PARKER SEXTET:
    C.P(as);R.Rodney(tp);J.J.Johnson(tb); Al Haig(p);T.Potter(b);R.Haynes(ds).
    Birdland,NYC,Feb' 14,1950.
  1. COOL BLUES into
       OUT OF NOWHERE into
       THIS IS ALWAYS into
       NOW'S THE TIME into
       SCRAPPLE FROM THE APPLE(13:18)
  2. CHARLIE PARKER SEXTET:
    C.P(as);rest unknown,probably, R.Rodney(tp);W.Gray(ts);W.Bishop(p), T.Kotick(b);R.Haynes(ds). Sarah Vaughn(vo).
  1. DIGGIN' DIZ (3:02)
  2. C.P(as);rest unkown,
    Waukegan,Illinois, late 1947.
  1. A NIGHT IN TUNISIA (2:58)
  2. C.P(as);rest unkown.
    Argyle Lounge,Chicago, Nov'11-23,1947.
  1. I CAN'T GET STARTED (3:34)
  2. DIZZY GILLESPIE BIG BAND with CHARLIE PARKER, Pershing Ballroom,Aug',1948.
  1. GROOVIN' HIGH (1:25)
  2. CHARLIE PARKER QUINTET:
    C.P(as);M.Davis(tp);D.Jordan(p);T.Potter(b), M.Roach(ds). Pershing Ballroom,1948.

これはオープニングから数ヶ月後のバードランドでの私家版ライヴ・レコーディングである。
 バードランドのグランド・オープニングは1949年12月15日にマックス・カミンスキーのデキシーランド・グループ、ブルースをシャウトするホット・リップス・ペイジ、偉大なレスター・ヤング、新しい前衛グループのレニ−・トリスタ−ノ、そしてバードというジャズの各分野の面々を集めて催され、クラブは大いにスィングした。ヴォイス・オブ・アメリカのマイクがバンドスタンドに立っている写真が一枚有るが、このめでたい状況の録音は未だ出てこない。


Photo 02
Grand Opening of Birdland,15th December,1949. L. to R.; Max Kaminsky, Lester Young, Hot Lips Page, Bird, Lennie Tristano.
"Black Beauty, White Heat" by Frank Driggs.
 丁度2ヶ月後の1950年2月14日に我々のバードランドのバードの演奏をその頂点の姿で提供するものである。
 この晩のバードは完全なフォームでドライヴしスムースなトーンで演奏する“バーディズム”を披露している。いつもの正に所を得た他の曲からの引用があり、それは我々がいつでも感じるようにぴったりしたものである。
 彼の腹の底からのビ・バップから来る署名入りのリフと輝かしいタイムの使用は、或るインターヴューでレッド・ロドニーが言うように“彼はオールタイムのタイムマスター”である。この晩、バードを伴奏するのは当時のレギュラー・ユニットにゲスト・ソロイストとしてJ.J.ジョンソンが加わったものである。1948年のクリスマスにマイルスと交代したケニー・ドーハムの席を更にレッド・ロドニーが交代している。ロイ・ヘインズは1949年11月にマックス・ローチと交代している。
 この特別の晩にバンドスタンドのすぐ脇のテーブルに置かれた家庭用レコーダーで演奏が録音され、演奏の最中に語り合う人々の声が入っている。
 音質はこのてのバードランドの録音の中でも最悪のほうだが、できる限り最善の方法で音質の向上が図られている。これはラジオ放送の録音でなく、聴くには充分のものである事に注目されたい。
 録音者はパーカーのソロ、曲の頭、グループの交代の時だけを録音している。ジミー・ネッパー、アル・ポーチノ、ジョー・メイニのようなミュージシャンたちは沢山のパーカーのライヴ・テープを録音し、またオポチョニスティックなボリス・ローズはラジオ放送からだけ全てをテープ録音し一般に売った。伴奏ミュージシャンをカットするやり方は、識別力の無かったローズ式ではなく、バードの熱愛者ディーン・ベネディッティの流儀に似ている。
 リストアップされたタイトルは、我々が推測するのに一晩分のものである。多くの52ストリート・テーマがセットの始まりと終わりの両方に有る。何年もの間、このテープはコレクターの間に廻り、何曲かは海賊盤LPになっている。たとえば、この4日後の2月18日にクインテットはニューヨークのセント・ニコラス体育館でプレイし、それは有名な“バード・アット・セント・ニックス”になっている。
 この晩、演奏された曲はテンポとフィーリングに広い幅が有り、更に興味深いのは、他のライヴ・レコーディングよりも多様性があることである。
 “イエスターデイズ”、“アイ・キャント・ゲット・スターテッド”、“ホワッツ・ニュウ”と“ヴィザ”のようなあまり聴けないものがある。“ヴィザ”は1949年5月の最初のパリ・ジャズ・フェスティヴァルに参加のためにパスポート事務所にいったことにちなんで名ずけられた。彼の“ナイト・イン・チュニジア”のブレークは私が聴いたものの中でも最も素晴らしい。
 パーカーのビ・バップ・ソングブックは常に興味有るものだが、特にこれは彼が共演したグループのタイプと少し変わって感じられる。レッド・ロドニーとJ.J.ジョンソンはハード・ドライヴィングなフロントラインを指向し、早いテンポを盛りたてている。例えば、“ホワット・イズ.....”にもとづくタッド・ダメロンの“ホット・ハウス”はバードの沢山の署名入りのリフを合体させたハード・ドライヴィングなソロをフィーチュァしている。4小節交換の時の“ムース・ザ・ムーチェ”の引用は注目すべきだ。“アウト・オブ・ノーウエア”は1947年11月4日の有名なダイアル・セッションより更に輝かしい。トミー・ポッターはそのセッションにもベーシストとして参加している。曲は“カントリー・ガーデン”で終る。これは通常レッド・ロドニーが参加している目印だ。
デンジル・ベストの“ウイー”で終る“アンソロポロジー”はパーカー・フェイヴァリットの一つで“アイ・ガット・リズム”のコード・チェンジである。スィング時代後期から大抵の優秀なミュージシャンはコードの素材として“アイ・ガット・リズム”のチェンジを使ったものである。
 この曲はバードのプレイのあらゆる形態を収穫するものなのだ。私が思うに、パーカーの音楽を学ぶのに人が求められるのは、四つの違った音楽的範疇即ち或る“アイ・ガット・リズム”のチェンジ、“チェロキー”、或るバラード、それから勿論或るブルース、から描写されるものを聞くことにある。これら四つのフォームから我々はバードのミュージシャンシップのエッセンスを探求出来るのである。思うに、我々が彼に見出しうるものは、これらについてのアプローチとコード構造の微妙な結合なのである。コード構造をその延長と代理とともに理解すると違うハーモニーが見えてくるのだ。これが、彼に与えられた猛烈なスピードと入り組んだ名状しがたい鋭敏さにもとずいたアイデアを創出する能力であるところのパーカーが掴んだ何物かなのだと、私は思う。
 カーン〜ハマーステインの曲“イエスターデイズ”はあまりパーカーが録音しなかった愛すべき歌曲だ。この素晴らしいソロはそのアプローチにおいてバードがゲスト・ソロイストとしてディジィー・ガレスピーのビッグ・バンドで1948年夏か秋にシカゴのパーシング・ボールルームで共演した有名なヴァージョンに似ている。
 “マイクは大丈夫かい”と我等がアマチュア録音家の質問が有って、バードが52丁目のテーマに行く。リトル・ベニー・ハリスが作った“パーディド”のセカンド・リフ“ワフー”では良いアンサンブルが聞ける。パーカーはサイドメンからベストを引きだそうとしているように見える。バードのスケール・ランを聞くと、この並列的なものは一年後にディック・メルドニアンのアパートで話しながら教えたものである。(訳注:W846.2 Vol.16参照)
 夜が終わりに近づくにつれ、我々はバードランドへの最初の訪問が満足すべきものであると感じる。
 このCDの次の興味は1951年6月のフィラデルフィアの退役軍人病院での珍しいセッションである。サラ“スィート・サッシー”ヴォーンが“ジス・イズ・オールウエイズ”にフィーチュァされる。サッシーは40年代後半にバードとディズをフィーチュァしたビリー・エクスタイン・オーケストラでキャリアをスタートした。彼女は1945年5月11日にギルド・レーベルでバードとディズとともにクラシック・ヴァージョンの“ラヴァー・マン”を録音し、また、1945年5月25日に彼女自身のオクテットにバードとディズを使って録音している。そのセッションはフィロロジーVOL.19にある。
 ここでの伴奏ミュージシャンは、ベニー・ハリス(tp),多分ワーデル・グレイのテナー、ウォルター・ビショップ(P),トミー・ポッター(b)、ロイ・ヘインズ(dr),である。“ジス・イズ・オールウエイズ”には興味深いビ・バップの歴史が有る。曲はウエスト・コーストのロス・ラッセルのダイアル・レーベルでのバードの有名な時代に作られた。1947年2月19日、バードはバリトン歌手のアール・コールマンをセッションに参加させた。コールマンはアル・ヒブラー、ビリー・エクスタイン流のシンガーだった。彼は“ダーク・シャドウズ”と“ジス・イズ・オールウエイズ”の2曲をバードのグループをバックに吹き込んだ。このセッションではエロール・ガーナーがフィーチュァされ、それが我々に“クール・ブルース”をもたらすセッションになった。
 ロス・ラッセルの危惧にも関らず、コールマンの使用はこれらのレコードに思わぬ売れ行きを示した。
 このCDには色々なシカゴのセッションがあるが、留意点として、これらはVOL.13,VOL.14にフレッシュ・アップされている。
  BIRD LIVES! Dr.ロバート・ブレグマン トロント、1995
 訳:小田 弘一