未発表テイク VOL.8     W80.2


バード.インターヴュー by ポール・デスモンド
ニューヨーク1944、ロサンゼルス1945 &47、
ボストン1951、ハリウッド1951、

収録曲

  1. YOU TALK A LITTLE TRASH
    (The Boppers) (3:07)
  2. Savoy Ballroom,NYC,late1944. Cootie Williams(tp);C.Parker or John Jackson(as*);Sam"The Man"Taylor (ts);Bud Powell(p);Carl Pruitt(b); Sylvester"Sonny"Payne(ds).

    *トラック1のアルトは常にバードとされているが、ジョン・ジャクソンとしたほうが、より正しいでしょう。 いずれにせよ全てのバード・ファンはこの希少盤を聴く必要が有り、自分でバードかジョンかを決めるべきでしょう。
  1. A NIGHT IN TUNISIA (5:30)
  2. AFRS Jubilee 163,Hollywood, California,Dec'29,1945. Dizzy Gillespie's ReBop Six; C.P;D.G;Milt Jackson(vib);Al Haig(p); Ray Brown(b);Stan Levey(ds); Earnie Whitman(m.c).
  1. BLUES (1:49)
  2. Chuck Kopley's,Los Angels, Feb'1,1947. Jam Session;C.P(as);Melvin Broiles, Howard McGee,Shorty Rogers(tp); Russ Freeman(p);Arnold Fishkin(b); Jimmy Pratt(ds).
  1. PERDIDO (3:53)
  2. OUT OF NOWHERE (3:29)
  3. ORNITHOLOGY (3:48)
  4. LADU BIRD (3:19)
  5. LITTLE WILLIE LEAPS (2:56)
  6. STAR EYES (3:41)
  7. Boston,April,1951. Charlie Parker Quintet; C.P(as);Bennie Harris(tp); Walter Bishop(p);Teddy Kotick(b); Roy Haynes(ds).
  1. MOP MOP into TENDERLY (2:54)
  2. Billie Holiday with Buster Harding(p) Orchestra Dec' 10,1952; C.P(as);Dizzy Gillespie(tp);Tony Scott(cl); rest unknown.
  1. ORNITHOLOGY (8:25)
  2. Lowe's King Theatre, Brooklyn,NYC, March 25,1952. Jerry Jerome All Stars;C.P(as); Bill Harris(tb);Buddy De Franco(cl); Dick Cary(p);Eddie Safranski(b); Don Lamond(ds).
  1. COOL BLUES (4:22)
  2. same date and place; C.P(as);Teddy Wilson(p);Eddie Safranski (b);Don Lamond(ds).
  1. BIRD INTERVIEWED (13:32)
  2. BY PAUL DESMOND; Radio,Boston,early 1954.
  1. NIGHT AND DAY (2:55)
  2. MY FUNNY VALENTINE (3:11)
  3. CHEROKEE (2:52)
  4. Portland,Oregon, Feb'28,1954. Stan Kenton orchestra; C.P(as);Sam Noto,Don Smith, Stu Williamson,Buddy Childers, Vic Minichelli(tp); Milt Gold,Bob Fitzpatrick,Joe Ciavardone,Frank Rosolino(tb);George Roberts (bass tb); Charlie Mariano,Dave Sildkraut(as); Mike Cicchetti,Bill Perkins(ts); Tonny Ferina(bar);Stan Kenton(p);, Bob Lesher(g);Don Bagley(b); Stan Levey(ds).
  1. EMBRACEABLE YOU (2:51)
  2. Julie McDonald's home, Hollywood,California, Spring 1951. Charlie Parker(as);Teddy Edwards(ts); Roy Haynes(ds); piano and bass unknown.
  1. HOT HOUSE (3:46)
  2. same date and place; same personnel but: Lawrence Marable replaces Roy Haynes.
バード・インターヴュー
by ポール.デスモンド

(ボストン、ラジオ、early 1954)
*R.M=unkown radio man
Paul Desmond:(訳注;初期のレコードをかけたのか?)......レコードではいい連中がたくさんプレイしていますが......。アルトのスタイルも行き方も他の誰とも全然違いますね。貴方は当時のジャズの行く末に影響を与えた、と言うことは次の10年間のジャズ・シーンの全てを変えつつあった、と実感していましたか?
Charlie Parker:ええ、でもこれは“ノー”と言っておきたいです。別にそう言う他と違うというような考えは持っていませんでした。
Unknown Radio Man:ちょっと質問していいですか?と言うのは、アルトはジョニー・ホッジスとベニー・カーターのやり方が普通だったのですが、何でこんなに激しい変化が有ったのか知りたいんです。つまりこれは、いかにホーンをプレイするかだけでなくて音楽全般を変える全然違う概念ですからです。
P.D:そう、どんなホーンをプレイするかでなくです。
C.P:ちょっと答えずらいなあ。
P.D:貴方がなめ尽くしたんです。
C.P:それがボクが話の初めに言ったことです。それがボクの最初の概念で、行くべき道だと思ったし、今もそうしてますよ。音楽はまだまだ進歩すると言うことです。25年か、もしかして50年もたったら誰か若い人が出て来て変化を起こし本当に何かやるでしょう。そうでしょ。だけどボクがミュージックを聞いて以来ずっと考えて来たのは、それはもっと精密でクリーンであるべきだったと言うことです。ともかく出来るだけクリーンね。判るでしょ。皆にとって多かれ少なかれね。人が理解するかしないかはともかく、美しい何かをね。
音楽の分野ではいくつもの階層が有るんです。分野は言えないでしょうけれど、述べるべき基本的方法が音楽の場合非常に難しいです。音楽は基本的にメロディー・ハーモニー・リズムですよね。だけど人は音楽についてそれ以上のことが出来るんです。ボクはメロディー・ハーモニー・リズムを方法の全ての種類で生命の歩みにおいて記述描写出来るんでしょう。そうじゃないですか、ポール?。
P.D:ええ、貴方は語るべきストーリーを何時でも持ってらっしゃる。貴方のことで今まで聞いて来た全部よりも非常に印象的なことを聞かせてもらいました。
C.P:それが多少ともの目的です。そう有るべきだと思っていたのです。
P.D:もう一つの貴方の演奏の主要な要素は誰とも比較しようのないファンタスティックなテクニックです。これもまた僕がいつも驚異の念で見ているんですが......。これは練習から来たのか、ただ演奏していることから来たのか、漸進的に発達したのか、どうですか?。
C.P:ええ、答え難いなボクは全部について、何処がファンタスティックなのか良くわかりませんけど。練習は少ししかしません。本当に。実を言うと、隣人たちがボクの母にすぐに引っ越せと頼んで来たことも有ります。ボク達はウェスト側に住んでました。母はボクがホーンを気違いみたいに練習していたと言ってました。少なくとも日に11時間か15時間はやってましたね。
P.D:それが知りたかったんです。
C.P:これは本当のことです。そう3年か4年以上やりました。
P.D:だったら、それが答えだ。
C.P:ともかく、これが事実です。
P.D:何日だったか2ヵ月ほど前に貴方のレコードを聞いていたら、何かスコア・ブックからの(クラシックのフレーズ)のこだまのような2小節くらいの引用が聞こえたんですが......。
C.P:ええ、ええ、そう、あれは全部スコアをやったんです。お手本無しでね。スコア・ブックをやったんです。
P.D:それを聞いて安心しました。何故って、少なくとも生まれつきのテクニックじゃないと判ったからです。そして貴方がその作動を保持するのに全然苦労しなかったことも。
R.M:うむ、この点を言ってくれたのは本当に嬉しい。というのは私が思うに若いミュージシャンはそう考えようとはしないから......。
P.D:うん、そんな風にしてる......。
R.M:する必要はないと......。
P.D:セッションをしたり、生活してゆくのに......だけど彼等はどんなスコアも日に11時間はやってないです。
C.P:ああ、そうだね。練習は絶対必要なんだ。どんな形でも。それは生まれつきの才能みたいなもので、いい 靴を履く時はよく磨くものだし。スクーリングみたいなことは才能に磨きをもたらすんで、世界中何処で もそうなんです。アインシュタインだって、あの天才が授業を受けたしね。彼自身がですよ。スクーリングはいつでも最も素晴らしいことの一つなんです。
P.D:貴方がそうおっしゃって下さると嬉しいです。
P.D:ええ。
C.P:何か......。
P.D:何か他のレコードでも?
C.P:今度はどんなレコード?
P.D:チャーリー、ちょっとスキップして“ナイト・アンド・デイ”を取り上げます。これはバンドとですか。ストリングとですか?
C.P:はい、生バンドとやりました。19人編成だったかな。
R.M:それでは聴いていただいて、何かお話を。
P.D:チャーリー、次に来るレコードは貴方とディズが軍勢に参加し始めた頃を僕等に思い出させます。ディジィー・ガレスピーと最初に会ったのは何処ですか?
C.P:ええ、最初に公式に会ったのは1939年ニューヨークのサヴォイ・ボールルームのバンド・スタンドでと言えます。マクシャン・バンドの最初のニューヨーク行きの時です。ボクはその前からニューヨークに居ましたけど。バンドは西部に帰ったので、再参加してニューヨークに戻りました。キャブ・キャロウェイ・バンドに居た時と思 いますが、ディジーが或る晩来て一緒にやったんです。ボクはその若者にすっかり魅了されてしまって親友になったんです。それで今までそうです。
これがディジーに最初に会った喜びと言うわけです。
P.D:その頃、彼は会う前から同じようにプレイしていましたか?
C.P:よくは覚えていませんが、皆の街のフレーズと言っていいようなプレイをしていましたね。ラッパでブクー、フクー、ブーなんてね。
P.D:ブクー、フクー?
C.P:そう。
P.D:オーケー。
C.P:判るでしょ。一度に全部をラッパに詰め込んだようにです。
P.D:その通り。
C.P:それでボク達はよく色んな場所へ行って、一緒にジャムって、その当時本当に楽しんだものです。そうしてマクシャン・バンドが又西部に戻った少し後、ボクはバンドを出てニューヨークに又戻ったら、オールド・ハインズ.バンドに居るディジーを見つけたんです。それで彼と一緒にバンドに参加したんです。ニューヨークにいて、ボクいや我々はハインズ・バンドに一年くらい居ました。ハインズ・バンドはディジー・ガレスピー、サラ・ヴォーン、シャドー・ウィルソン、ゲイル・ブロックマン、トーマス・クランプなんていう連中が居ましたけど、これは今の音楽業界では皆有名でしょ。
P.D:全く凄いメンバーですね。
C.P:それで、あのバンドは41年につぶれて、42年にディジーはニューヨークのスリー・デューセズで自分のコンボを結成したので、彼のバンドに参加しました。それが、これからキミがかけるレコードの一つで、これはボク達が42年にニューヨークで作りました。

Photo 03
Dizzy Gillespie, 1940 "BLACK BEAUTY....." by Frank Driggs



P.D:はい。僕が最初にあのグループを聴いたのはビリー・バーグズに来た時ですね?
C.P:ああ、そうだ。だけどあれは45年のことで、後のことだね。
P.D:僕はこの事を遥か彼方の事に思い浮かべているんです。
C.P:そんなにしないで下さい。謙遜は何にもならないから。
P.D:僕はヒップなんですよ。
R.M:そこで今は1942年のことですが、オーケー、アール・ハインズですね。
C.P:はい。
R.M:......これは“グルーヴィン・ハイ”なんかをやったスラム・スチュワート、レモ・パルミエリとクライドのピアノですね。
C.P:そう、クライド・ハートが居ました。
R.M:そうでした。
C.P:それから亡くなったビッグ・シド・カトレットも。
P.D:42年のニューヨークはジャンプしていたと言いましたが?
C.P:ええ、ニューヨークは本当に。当時は皆若くて楽しくて、正にグッド・オールド・デイズでした。
P.D:それについて少し。
C.P:そう、叙述的に言えば楽しい青春と金欠の時代でしたね。
P.D:それでは、パーカーお爺さんのお話を聞かせて下さい。
C.P:演奏する他にはすることが無かったです。プレイするのが凄く楽しかったし。夜遅くまでジャム・セッションをして、旨い食事と素敵に清潔な住まいで。でも基本的な話として、とても貧乏でしたよ。
P.D:それはいい.心配ないです。
C.P:そういうのは、はつきりと所を得てます。生涯の中に。
R.M:この種の状況が無期限に続くと思いたかったですか?
C.P:うん、ポール、そうしたかったか、しなかったかでなくて、ボクは最終的にその種のものを吹きたかったんです。そう言うのを。
P.D:はい。
C.P:ええ、少しばかり楽しみました。実はそれ以上かな。ボクが出会ったそういう連中が出て来て仕事を楽しんだんです。ボクは楽しみたい時、皆と仕事を楽しむんです。言うなればキミなんかと、そう、ポール、キミとだ。
P.D:有り難うございます。
C.P:キミとの仕事は楽しかった。百万に一つの楽しみだ。デヴィッド、ディヴ・ブルーベック、デヴィッド・ブルーベックか......。
 あの素晴らしい独特な時代以来沢山の連中が出てくる。皆がしたことはゼロじゃあ無かったと感じるな。皆が本当に何かを促進しようとして......。
P.D:はい、本当に貴方はやりました。貴方が他の誰よりもこの10年来のジャズの歴史に決定的マークを印したと思いますね。
C.P:ええ、未だですよ。ポール。ボクが意図したことは。ボクはもう少し何か勉強したいな。未だ諦めてはいません。未だ全然......ボク自身未だ習うのに年取りすぎているとは思いませんね。
P.D:はい、皆がこの瞬間に貴方が2、3年後にどうなって行くかを最大の興味で見守っています。僕もその一人です。それで何か心に決めている事は?
C.P:はい、真面目に言うとボクはヨーロッパへ勉強しに行くつもりです。ボクはエドガー・ヴァレーズという人とニューヨークで会う光栄を得ました。彼はクラシックの作曲家でフランス人です。彼はボクを教えたいそうです。事実、彼はボクのために作曲したがっています。何故って、彼が考えるにボクは多少ともシリアスな基本型以上だそうです。ねっ。それで若しボクを教えて、教え終わったら、パリの音楽アカデミーに勉強に行くチャンスもあるんです。ボクの一番の興味は未だに音楽の勉強に有るんです。判って下さい。
R.M:スタデイは演奏か作曲か、どちらをしたいのですか?
C.P:両方です。ボクのホーンは絶対無しにはしませんけど。
P.D:そうして下さい。
C.P:そうしたいです。
R.M:それでは、ここでレコードに戻りますが、これはとても魅力的ですね。マイルス・デイヴィスについて何 かおっしゃって下さいますか?
C.P:ええ、ではマイルスとの出会いから言いましょう。
 1944年にビリー・エクスタインが自分のバンドを結成して、ディジーもあのバンドにいました。それでラッキー・トンプソン、アート・ブレイキー、トミー・ポッターなんていうメンバーがいて、そして親愛なる彼もね。
R.M:チャーリー、ご謙遜ですね。
C.P:ボクがマイルスに会う最初の光栄を得たのはセント・ルイスで、彼は若くて未だ学校に行ってました。その後ニューヨークに来てジュニア・ハイ・スクールを終えて、マイルスがですよ、ジュリアードを卒業しました。あの頃ご存じのようにボクはバンドを編成し始めていました。5人編成であちこちでやって。そうしてからバンドを結成してスリー・デューセズに多分7、8週出ました。それであの頃ディジーは、組織が壊れた後だったけれど、自分のバンドを結成するところでした。あんまり沢山の事があったので述べづらいですけれど1ヵ月くらいの間にそういう事があったんです。それでもボクは自分の初めてのバンドを潰してディジーと一緒に1945年にカリフォルニアに行きました。それで47年、そう47年初めにニューヨークに戻ったんです。ボク自身のバンドを永続的に持とうと決めたからです。そこでマイルスが ボクのオリジナル・バンドに居ました。マイルスが居て、トミー・ポッターとアル・ヘイグが居ましたね。もう一つボクが持ったバンドにはカーリー・ラッセルとスタン・レヴイを入れてマイルスとジョージ・ウォーリントンも居ました。レコードが有るでしょうけれど。マックスとマイルスで作ったやつを。トミーとデュークもいたな。
 曲は“パハップス”でしょう?こういうことが47年、いや46年から47年にありました。これら特別のセッションはニューヨーク・シティのブロードウェイWW4040でやりました。それでこれがボクのバンド・リーダーとしての始まりだったわけです。
R.M:オーケー、では“パハップス”をかけます。

テープ・スクリプト: by クレア・ヒスコック
訳:小田 弘一

訳注:
1、44年のクーティー・ウィリアムスのアルトはフレイジング、トーン、イントネーションから推してジョン・ジャクソンに間違い無いようだ。
2、52年のキング・シァター・セッションでのビル・ハリスはバードとの共演でインスパイァされたのか、なかなかバッピッシュでファースト・ハードの頃より進境著しい。53年来日時はまた元のスタイルに戻っている.デフランコも素晴らしい。
3、インターヴューのバードは記憶違いが多い。ポール・デスモンドも訂正しない。42年のディズとの共演セッションがあれば最高だ。ブルーベックとの共演が出てくれば面白いが?バードは口調が滑らかで伝記本にあるようではなく、しっかりしている。内容の日時はその後の資料で確認されたい。
4、17と18のジュリー・マクドナルドは女流彫刻家でバードといきさつが有ったのは資料に登場してご存じの通りだ。

Photo 04
Sculpture by Julie McDonald from The Robert Reisner Collection by Down Beat, March 11,1965