未発表テイク VOL.12     W842.2


バード・イン・1950、バード・イン・パリ 1949
ホテル・ディプロマットNYC 1949/1950
136丁目・セッション 1950
 ジョー・メイニ & ジミー・ネッパー’ズ・ホーム 1950

収録曲

  1. FAREWEL BLUES (3:52)
Salle Pleyel,Paris,May 15,1949. Jam Session with Aime Barelli,Miles Davis,Bill Coleman, Hot Lips Page,Kenny Dorham(tp);"Big Chief"Russell Moore(tb);Hubert Rostang(cl);Sidney Bechet(ss); Charlie Parker(as);Don Byas,James Moody(ts); Hazy Osterwald(vib);Al Haig(p);Jean"Toots"Thielemans(g); Tommy Potter(b);Max Roach(ds).
  1. LADY BIRD (2:46)
ORTF Studio,Paris, late November,1950. Maurice Moufflard orchestra; Roger Guerin,George Jouvin Fassin,unknown(tp); Andre Paquinet,Maurice Gladieu,unknown(tb); Roger Simon(ts);Honore True(bar);unknown 2(ss); Robert Cambier(p);Henri Karen(b);Pierre Loteguy(ds); unknown2(perc);Maurice Moufflard(dir).
  1. BILLIE'S BOUNCE (2:43)
  2. COOL BLUES (3:00)
  3. APRIL IN PARIS (1:58)
  4. ORNITHILOGY into
        52nd STREET THEME (2:16)
  5. CARAVAN (2:24)
  6. BIG FOOT (4:48)
Hotel Diplomat,NYC,1949/1950. Miles Davis(tp);Charlie Parker(as);Al Haig?(p); Tommy Potter?(b);Roy Haynes(ds).
  1. LITTLE WILLIE LEAPS (7:19)
  2. ALL THE THINGS YOU ARE (6:52)
  3. BERNIE'S TUNE (4:36)
  4. DONNA LEE (4:48)
  5. AD RIB into OUT OF NOWHERE (3:18)
  6. HALF NELSON (2:51)
  7. FINE AND DANDY (4:40)
Joe Maini & Don Lanphere's home, NYC, June 1950. Norman Carson,Jon Erdley(tp);Jimmy Knepper(tb); Charlie Parker(as);Bob Newman,Gers Yowell(ts); John Williams(p);Buddy Jones(b);Al Haig(p);Frank Isola(ds).
  1. . HALF NELSON (2:51)
  2. CHEROKEE (2:12)
  3. SCRAPPLE FROM THE APPLE (6:12)
  4. STAR EYES (4:38)
Joe Maini & Jimmy Knepper's home, NYC, June 1950. Jon Nielson(tp);Jimmy Knepper(tb);Charlie Parker, Joe Maini(as);Don Lanphere(ts);Al Haig(p);Frank Isola(ds).

:track 9 to 19 known as 136th Street Session
:track 9 to 15 =Joe Maini's house,NYC, June 1950
:track 16 to 19 =136th Street Session, June 1950

 1950年はチャーリー・パーカーにとって変幻自在な年だった。彼はパリ・ジャズ・フェスティヴァル・ツアー(VOL.11参照)で大成功し、ここには“ファーウエル・ブルース”が収録されている。また1950年11月のパリの“レデイ・バード”はスエーデンに短期滞在期間中のものである。
だが、パーカーは1950年の大部分をニューヨークで過ごし、特に彼の名声に因んだ開店間もないバードランド出演が多かった。
 1950年は新しい時代の夜明けであった。アメリカは第2次世界大戦の勝利に酔い、世界一の大国になりつつあった。合衆国は矛盾だらけだったが、世界はアメリカの傘の下に入ったようなものだった。朝鮮戦争が有ったが、同時にデモクラシーへの空前の推進力だったのである!音楽(ジャズとクラシック)、文学(文芸評論とビート文学)、芸術(抽象美術)は偉大な高みにたどり着きつつあった。そしてパーカーは彼の時代の最高のヴァーチュオーソとして、この文化的オリンポスの頂点に立った。歴史は正にバードを世紀最大の音楽家として包含するであろう!。だが、バードにとってこれが何かを意味したとしても、彼自身が上昇気運にあったとは言い難いのである?。ではあるが、彼が音楽界における彼の強力な芸術的影響に感ずいていたとは、言うに易いことなのである。
 ニューヨークのディプロマット・ホテルの私家録音の大部分か半分は最初にリリースされるものである。これらの曲はいかにしてパーカーが彼のプレイを最終的にはコントロール出来るタイムの浮遊感覚を違ったコード・チェンジとブルース進行で波立たせたかをミュージシャンたちに聞かせたのである。もしタイム感が現実でなく、単に我々の宇宙を規定する主観的装置だとしても、この事実は真の創作者としての芸術家にそれ以上の宗祭器卓を与えるのである。もしタイムが我々の外側に存在するとしても芸術家は彼のサイドマンとしてのネイチュアーを創造し続けるのである!。バードはオールタイムのジャズ・マスターなのである!。
 次のブロードウェイ136丁目のジョー・メイニとジミー・ネッパーの地階アパートでのジャム・セッションはマスターから習っているビバッパー第2世代の若い連中の良い見本である。1950年4月3日、バードはリリースを見合わされたジーン・ローランド・オーケストラのフィーチュァード・ソロイストであった。メイニとバディ・ジョーンズ(ベース)、ドン・ランフェアが在団していた。
 ここにあるのはウィリアム・ヘンリー・アパートの日曜午後のジャム・セッションでバードが1950年6月に吹いたものを、家庭用テープレコーダーで録音したものである。ここでバードは“リトル・ウィリー・リープス”の難解なヘッド・テーマから彼の洗礼曲“チェロキー”に至るまで、耳で聴く証拠として素晴らしいフォームで存在している。
 言ったように、バードはオールタイムのタイム・マスターなのである!。
BIRD LIVES! Dr.ロバート・ブレグマン
訳:小田 弘一

Photo 11
Sidney Bechet
"Golden Age of Jazz" by 8,
William P.Gottlieb