未発表テイク VOL.15 W845.2
“ア・プリティー・ガール・イズ・ライク・ア・メロディー”
ジーン・ローランド・バンド・セッション・完全版 APRIL 3,1950
レッド・ノーヴォ・セクステット・完全版 JUNE 6,1945
収録曲
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- IT'S A WONDERFUL WORLD (take 1)
- IT'S A WONDERFUL WORLD (take 2)
- IT'S A WONDERFUL WORLD (take 3)
- IT'S A WONDERFUL WORLD (take 4)
- IT'S A WONDERFUL WORLD (take 5) (11:24)
- JUST YOU,JUST ME (2:23)
- UNKOWN TITLE (0:22)
- STAR DUST(take 1)
- STAR DUST(take 2)
- STAR DUST(take 3) (5:42)
- REMEMBERING WITH EDDIE BERT
AND DON MANNING UNISSUED (2:56) - DOWN HOME BLUES (2:50)
- LIME HOUSE BLUES (4:22)
- EAST SIDE WEST SIDE (0:56)
- STAR DUST (5:15)
- New York City, Nola Studios, Rehearsals,
April 3,1950.
Gene Roland Orchestra featuring Charlie Parker,
Marty Bell,Don Ferrara,Don Joseph,Jon Nielsom,
Al Porcino,Sonny Rich,Red Rodney,Neil Friez
(tp),Eddie Bert,Porky Cohen,Jimmy Knepper,
Paul Selden(tb),Frank Orchid(vlb tb),Joe Maini,
Charlie Parker(as),Al Cohn,Don Lanphere,
Tommy Mackagon,Zoot Sims(ts),Bob Newman,
Marty Flax(bas),Harry Biss(p),Sam Herman(g),
Buddy Jones(b),Phil Arabia,Freddie Gruber,Don
Manning(ds),Gene Roland(arr.cond.) -
- HALLELUYAH (take 1)
- HALLELUYAH (take 2)
- HALLELUYAH (take 3)
- GET HAPPY (take 1)
- GET HAPPY (take 2)
- SLAM SLAM BLUES (take 1)
- SLAM SLAM BLUES (take 2)
- CONGO BLUES (take 1)
- CONGO BLUES (take 2)
- CONGO BLUES (take 3)
- CONGO BLUES (take 4)
- CONGO BLUES (take 5)
- Red Norvo and his Selected Sextet
Dizzy Gillespie(tp),Charlie Parker(as),Flip Phillips(ts),
Teddy Wilson(p),Slam Stewart(b),Specs Powell(ds,
on tracks 16 to 20),J.C.Heard (ds,
on tracks 21 to 27)
“存在しなかったバンド”として有名な、ジーン・ローランド・オーケストラのセッションは1950年4月3日、ニューヨークのノラ・スタジオで録音された。
1950年3月下旬から4月初旬にかけての短いバンドの存続はトロンボーン奏者エディー・バートの写した一連の写真が世に出るまで、そのパーソネルについて常に長期にわたる論争の的だった。とは言え、このテープ類は永年のあいだセッションの完全版だと言う希望のもとにコレクター間で流布していた。幸運にも、良く知られる英国のLPが不完全版ででていた。
今や、完全版セッションが最初にリリースされるわけである。また、これにはバンドのドラマーの一人、現在ラジオ・ホスト、バンド専門家のドン・マニングによる興味深いインターヴューが含まれている。ドンはエディー・バートとセッションについて、その魅力的な内面を語り合う。
新しく含まれた曲は、“スター・ダスト”、“ライムハウス・ブルース”、“ダウンホーム・ブルース”、“イーストサイド、ウエストサイド”の4つのテイクである。アレンジメントは少しばかり時代遅れに聞こえ、レコーディングの音質は貧弱である。
アレンジャー・コンダクターのジーン・ローランドがどんな心中だったかは私には確かめるすべも無いが、バードのブローに出た全ての取り組み方については、平面的で興奮を創造するドライヴに欠けているように見える。
パーカー自身は、今やクラシック化している1949年9月のダウン・ビート誌インターヴューで“バップに相応しい位置はスモール・グループにある”と感じているのでビッグ・バンドからは遠ざかっていると言明している。「ビッグ・バンドは譜面化し過ぎている傾向があり、バップとは違って来ている」と語る。チャーリーの評価によると、1944年にバップをプレイし得たビッグ・バンドはビリー・エクスタイン・オーケストラ唯一つである。ディジーのバンドに触れたバードの発言だと「あのビッグ・バンドはディジーにとって悪いものです。ビッグ・バンドというものは充分にプレイするチャンスが無いので、誰をも引きずり落してしまうんです。ディズはたくさんの凄いアイデアを持っているのに、もし彼がビッグ・バンドに留まるなら彼は演奏して来た全てのことを忘れちゃうんじゃないでしょうか」と言う。これと対照的にバードとウディ・ハーマンの共演を聴く時、アレンジはシンプルで、バードは彼のアイデアを発展させるに充分な長いソロを取っている。それでもなお、ジーン・ローランド・セッションはパーカー研究への興味深い追加物なのであって、我々は通常演奏しない彼のプレイを聴けるのである。
BIRD LIVES!
有名なコメットのレッド・ノーヴォ・セッションは1945年6月6日に行なわれた。
このセッションは多様なスタイルのミュージシャンをフィーチュァしている。つまり、バードとディズ、テデイ・ウイルソンのスィング・ピアノ、フリップ・フイリップスのテナー、レッド・ノーヴォのヴァイヴ、スラム・スチュワートのベース、スペックス・パウエルとJ.C.ハードのドラムである。セッションは当時の52番街でやっているスタイルの選抜的混合を象徴した。
リーダーのノーヴォは言う。「バードとディズはボクの年代のミュージシャンにとってはダーティー・ワードでしたね...」だがノーヴォはテデイ・ウイルソンのようなスィング・スターをこのセッションに登用するのも決めたのである。
話は続く。スリー・デユーセズでのオールナイト・セッションが終わって、バードとディズは軽い朝食を取ってから九時のWORスタジオでのスタートに間に合ったのである!。
このセッションで、“ハレルヤ”と“ゲット・ハッピー”はオールド・スィング・スタンダードで、スピリチュアル・ソングにルーツを持つ。“スラム・スラム・ブルース”と“コンゴ・ブルース”の二つのブルースが続く。バードとディズは優勢なスィング勢によく立ち向かい、これは2年後のニュー・オーリーンズの“モルディ・フイグ”(セッションでバードとディズは“ターガー・ラグ”を引き裂いた)とのバンド・フォー・ボンド放送を思い起こさせる。レッド・ノーヴォ・セッションは最初、ソロ・スペースを充分に取るべく、物議をかもした12インチ78回転盤でリリースされた。コレクターとジャズ史家はコメット・セッションをめぐる事実に興味をそそられるであろう。12インチのシェラック製レコードは市場に適さなかったのである。
コメットが業界を退いてから、マスターはハリウッドをベースにしたブラック・アンド・ホワイト・レーベルに売られた。がっかりする売り上げの後、それは1949年にロス・ラッセルのダイアル・レーベルに売り渡されたのである。15枚のアセテートのセットのオリジナル・マスターがWORスタジオの倉庫から発見された。15枚の内の10枚が生き残り、ここにその全体としてリリースされたのである。
BIRD LIVES!
ロバート・ブレグマン
P.S: バードのイーストサイド・ウエストサイドの中での“ア・プリティーガール・イズ......”の引用は純粋な驚異であります。それはドン・マニング/エディー・バートの対話によく述べられていて、この魅力的なフィロロジー・バーズ・アイ・未発表シリーズVOL.15を非常に価値あるものとしています。
パオロ・ピアンジァレッリ
訳;小田 弘一
Photo 14
Red Norvo,
"Jazz Giant" W.P.Gottlieb
エディー・バートとドン・マニングの
“存在しなかったバンド” セッションの思い出。
E.B:......君はチャーリー・パーカーのいるジーン・ローランド・バンドにいたんですけど、どんなことがあったか話してくれる?
D.M:ジーンはダブル・ブラス・セクションと大きなサックス・セクションを使って自分がやりたいことを沢山書いていたんだ。そう、一遍に10人づつ、10人のトランペット、10人のトロンボーン、それからダブル・リズム・セクションをね。彼はスタジオをレンタルしてアルバムを作り、それが“存在しなかったバンド”としてリリースされた訳だ。
E.B:そうだね。
D.M:だけど、世間じゃそんなバンドが有るなんて信じなかったね。
E.B:その通り。
D.M:エディー・バートとバンドの2、3の連中が仕上げたんだよ。テープレコーダーを持って来てリハーサルを録音してね。
E.B:そう、そう。
D.M:バードがリード・アルトをやったんだ。
E.B:凄いフィーリングだったな?
D.M:うん、もちろんだよ。
E.B:偉大な経験だった?
D.M:うん、すごく強力なね。
E.B:曲の大部分は発売されなかったけど......君が名付けた“存在しなかったバンド”のレコードのサウンドはとても貧弱だったね。
D.M:本当に悪かった。
E.B:いろんな事がね......このての事は......君のディスコグラフィーの中であまり述べられてないけど、あの“ライムハウス・ブルース”を覚えてる......何度“ライムハウス・ブルース”をやったか。それから“サマー・タイム”、“イーストサイド・ウエストサイド”、“ダウン・ホーム・ブルース”をどうやったか......君のディスコグラフィーには無いけど......テープは持ってるの?今言った曲は?
D.M:ないね。
E.B:ちょっとだけ聴いてみない?このバンドはボクもいたんだけど。OKかな?
D.M:あは、は..(笑う)
E.B:オーライ。それじゃ何だったかをいうけど、ドン......とてつもないギグだったし......あの時の全部がね。......メンバーのことで恐るべき時間があったのを知っているし......ドラマーは判らないな......ピアノは誰?そうハリー・ビスだね。
D.M:その通り。
E.B:そこで、ボクはあそこにいて、よくよく思い出せるけど......聴いてみましょう......これは“存在しなかったバンド”のレコードに無い曲です。それじゃあ思い出の鐘を鳴らすと言うことで聴きしょう。ダウン・ホーム・ブルースでスタートするけど、これは断片だね......僕たちが演奏してたら若いのがドアを開けて見回して言っただろ。“皆さんニュースがあります。あと2分でお終いです”って......その若いのが突っ立ってて......覚えてる?
D.M:うん。
E.B:そうだったね。テープがあるんだ。イーストサイド・ウエストサイドをやった時のことは覚えてる?......バードが何かのイントロを吹いていると、小さな女の子がお母さんのとこから来たら、彼がバンド・スタンドを飛び降りて踊って、“ア・プリティーガール・イズ......”をやったのを......(歌う)
D.M:あは、はは。
E.B:覚えてる?
D.M:いや。
E.B:それじゃあ聴かせますよ............。
訳:小田 弘一
Photo 15
Slam Stewart,
"Jazz Giant" W.P.Gottlieb