未発表テイク VOL.18 W848.2
スターダスト
フィナーレ・クラブ 1946、アーガイル・ラウンジ 1947、
パーシング・ボールルーム 1948、ハワード・シアター 1953、
ボストン・ハイハット&インターヴュー 1953、
収録曲
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- BILLE'S BOUNCE (3:41)
- ORNITHOLOGY (5:01)
- ALL THE THINGS YOU ARE (5:07)
- BLUE'N BOOGIE (5:08)
- ANTHROPOLOGY (2:46)
- Los Angeles,Calif., Finale Club February-March, 1946 Miles Davis(tp);Charlie Parker(as);Joe Albany(p); Addison Farmer(b);Chuck Thompson(ds).
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- Announcement into
TEA FOR TWO (4:07) - BODY AND SOUL (2:37)
- CHEROKEE (2:59)
- ORNITHOLOGY (3:10)
- Announcement into
- Los Angeles,Calif., March-April, 1946 Charlie Parker,Willie Smith(1),Benny Carter(2)(as); Nat King Cole(p);Oscar Moore(g);Johnny Miller(b); Buddy Rich(ds);Ernie Whitman(m.c.).
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- CHANGES(I GOT RHYTHM)(I) (2:19)
- BLUES (0:28)
- ORNITHOLOGY (2:15)
- CHANGES(I GOT RHYTHM)(II) (2:50)
- Chicago,Illi.,Argyle Lounge,November 11-23,1947 or the Pershing Ballroom,Jan.3-6,1948. C.Parker(as);prob.M.Davis(tp); D.Jordan(p);T.Potter(b); M.Roach(ds).
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- OUT OF NOWHERE (4:53)
- ORNITHOLOGY (4:35)
- ANTHROPOLOGY (5:16)
- Washington D.C. Howard Theatre, March 1953
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- STARDUST (2:14)
- Chicago,Illi.,Pershing Ballroom, Late 1949. R.Rodney(tp);C.Parker(as);A.Haig(p);T.Potter(b); R.Haynes(ds).
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- INTERVIEW with JOHN McLELLAN (17:24)
- Boston,Mass., June 13,1953
1946年、バードはニューヨークからロスアンゼルスに旅した。パーカーのLA滞在は、フランク・モーガンが“フーティー・ブルース”のバードのソロ・コーラスを聴いたことからデクスター・ゴードンとソニー・クリスのセントラル・アヴェニューでのブローに至るまで、神話的形態をとった。パーカーのカリフォルニアの日々は強力な実存的通低音を伴うSF小説を読むようである!。
この宗教的かつ哲学的メッセージはケルアックの自己救済の旅の小説「オン・ザ・ロード」で裏づけられる。
まるでキリストのようなバードは、ディジーと使徒たちを連れ、バップ教を広めに使徒的異教の地ウェストコーストに降臨したのである。ロサンゼルスは、商業的厳しさ、ストラヴィンスキー、そしてうろつく麻薬の売人のいる、冷淡な耳に満ち満ちていた。
バードの中の残忍なユダのようなヤクは彼に打ち勝ち、結局それはカマリロ州立サナトリュームで終局を迎えたのだ。
ここでバードは神に語りかけるべくよじ登るジョー・オルバニーのような使徒に訪問されたのだ!バードは結局忌まわしいラヴァーマン・セッションのロス・ラッセルによって病院に入院させられることで救出されたのである。
黄金の不毛の地カルフォルニアは掻きまわされ、多数の魂に唾した。その時の唯一の生命線たる広漠とした神なき海は狂気の沙汰のように見えた!。アラン・ギンズバーグのオン・ザ・ロードに対する詩的補足は“聖なる”米国の街、聖なるカンザス、聖なるデンヴァーなどなどを露呈し、それから彼はLAを“誰がロサンゼルスがロサンゼルスだとしてディグするのだ”と詩的に結論付けた。
それは此れから贈るパーカーの奉納物の心乱れた時代に由来するのである。
1946年はじめのフィナーレ・クラブからのラジオ放送はいかしたクインテットをフィーチュァする。アセテート盤ははじめソニー・クリスの旧友にもたらされた!。私自身は1967年にそれを受け取ったのである。
ともかく、貧弱な密売テープは英国のLPとヨーロッパのクイーン・ディスク・レーベルでリリースされた。このCDは最初に高度に改善されたサウンドになっているのである!。パーカーが如何にバップ・イディオムを進歩させたかを聴くのは非常に興味深い。彼のハーモニーの把握とリズム構成は同時代を遥かに超えたものだったのである。
次の1946年3月〜4月のセッションはジュビリー放送のトランスクリプションの“チェロキー”で、ナット・キング・コールのピアノをフィーチュァしている。
“オーニソロジー”は同じ時期のライヴ演奏だと思う。だが、そのピアノ・ソロはディーン・ベネディッティ式の録音材料の節約のためか、無い!。
“チェロキー”はメドレーの三番目の曲でナット・キング・コール・トリオとバデイ・リッチが伴奏し、ウイリー・スミスとベニー・カーターのフィーチュァリング・ナンバーの中の一曲である。“チェロキー”の包含は、パーカーの演奏はたくさん有るが、その構成がバードがジャズの行方を変える助けをしたことから、常に重要である。
次に来る4曲はアーガイル・ラウンジか‘47年か‘48年のシカゴ・パーシング・ボールルーム時代の新発見のものである。
バードは活力の絶頂にあり、ここには“アイ・ガット・リズム”とブルースのコード・チェンジの広大な証明が有る。
“スターダスト”の希少なヴァージョンがこれに続く。これは1949年末のパーシングでの当時のレギュラー・クインテット(ロドニー、ヘイグ、ポッター、ヘインズ)のものである。
4年が過ぎ、我々はここでイーストコーストへと旅する。バードの生活には色々なことが起こった。パリ・ジャズ・フェスティヴァルやウイズ・ストリングの音楽的凱歌があったし、私生活はローラーコースターのように上がり下がりがあった。
次の3曲は1953年3月頃のワシントンD.C のハワード劇場でのものである。パーカー・レパートリーの“アウト・オブ・ノーウェア”、“オーニソロジー”、“アンソロポロジー”が演奏される。詳細は漠然としていてパーソネルは不明である。パーカーのブローはいつものように最高水準のものだ。
最後は未発表の素晴らしいインターヴューで、これはフィロロジーCD W80.2 VOL.8のポール・デスモンドによる1954年ボストンでのものに匹敵する。日付けは1953年6月13日であって、バードはホストのジョン・マクレランから見識ある質問を受けている。パーカーはクラシック音楽と色々な文化面につき偉大な見解を披露する。
バードの明確な回答は“ヒップスター”の商業的見地のサンプルであり、如何に彼が詮索好きかを示す見本でもある。バードは1947年9月のダウンビート誌ではディジーのベレー帽やバップ服などについて語り、「これはボックス・オフィスで名を挙げるためのマネージャーのルーティンワーク」なのだと抗議した。
インターヴューは自己弁明的であり、読者はバードの時代の前後関係脈絡などを考慮して、このインターヴューを享受すべきなのである。
ロバート・ブレグマン
ジョン・マクレラン、 インターヴュー
1953.6.13.ボストン.
JOHN McLELLAN:チャーリー、ようこそボストンへ。ショーに出てくださって有り難う。
CHARLIE PARKER:有り難うジョン。ショーに出られて光栄です。
J.McL:今晩は珍しいゲストですから、普通でない質問をして宜しいのではないかと思います。ですので、これからする質問に何の指摘も無いことがありますし、かける音楽も違うタイプのものが有ると思います。ところで、昨晩ハイハットで少し話し合ったところですが、何時から出てるんですか?。
C.P:日曜からずっとです。
J.McL:日曜の夜ですか。午後は......。
C.P: 午後は4時から8時です。
J.McL: お聞きのとおりですので、聴取者の皆様、是非、今晩、明日の午後と夜、マサチューセッツ・アヴェニ ューのハイハットへお出かけ下さい。最初に言いましたように、昨晩の短いインターヴューでもアーティストとしてのチャーリー・パーカーご自身が違う分野の音楽に興味をお持ちと知りました。これは聴取者の皆様にも驚きだと思います。そこで、一寸した曲をかけます。ゲームの用意はいいですか?。
C.P: さあ、かけてください。
J.McL:これはどうですか?(バルトークをかける)ふむ、このセレクションには質問のしようが有りませんね。親近感が有りますか?。
C.P: ええ、とても。名前は忘れたけどバルトークの作品です。バルトークはボクのフエィヴァリットですよ。
J.McL:はい、昨晩の短い時間で一致したことですね。これは僕も好きな作品の断片で、ええとコンチェルト・フォー......いやコンチェルトではなく“ミュージック・フォー・ストリング、パーカッションとチェレスタ”でした。
C.P: そう。
J.McL:私がこの奇妙な作品を選んだ理由は、バルトークがもたらす暴力的リズム・アイデアからなんです。さあ、それでは君の愛好する作曲家についてコメントしてください。
C.P: ええ、つまり彼の生涯に関してなんですが、つまり、彼はハンガリー生まれですよね。それで彼は1945年にニューヨークのジェネラル・ホスピタルでアメリカ亡命者として死んでいるんです。
その頃、ボクはモダーン・クラシック、コンテンポラリー奏者かなんかとして、紹介され始めていたんです。それで、ボクにとって残念なのは、会うのを楽しみにしていた偉大な人が死んでしまい、会えなかったことなんです。ボクが考えるには、彼は疑いも無く今までにない最も完成され洗練された音楽家です。
J.McL:1945年に聴いたと伺いましたが、大変興味深いポイントをついていますね。
C.P: ええ
J.McL:そこで私が質問したいことになりますが......我々の音楽史の確かな点で、1945年以前ですが、貴方や他のグループが音楽がステレオタイプ化していると不満を感じ始めていましたね。そこで貴方はリズム、メロデイ、ハーモニーを改革しました。実際いささか手荒にではありますが。
どんなに、貴方が責任を負わされたこの変化が貴方自身のアイデアの自発的実験か、叉、どんなにしてクラシックの先輩、例えばバルトークのような、についてのアイデアに如何に適合しましたか?。
C.P: ええ、まあ、100パーセント自発的に知らず知らずに生じたんです。100パーセントですよ。今日プログレッシヴ・ミュージックとして知られ始めているものに適合させたわけでも、古い作曲家や先輩にインスパイアされたわけではないのです。
J.McL:偶然の一致でなくて、殆どプログレッシヴの流れになると言うのは変わっていて面白いですね。だけど、人が誰か他に従う時、例えばドビュッシーですが、エロール・ガーナーのようなピアノ・プレイヤーが居ますね。勿論、多くの人たちに尊敬されていますが。然し、それよりずっと以前、ビックス・バイダーベックのトランペット奏法や彼のピアノ曲はドビュッシーのフォームに多くを負っています。とても印象派的で、凝っていて、さざ波のような和声で、コードの群れでね。それからタイトルでさえ“イン・ア・ミスト”とか“雲”とかいった具合でドビュッシーを想起させます。このことで私はちょっと思うんですが..これが全く自発的でも、部分的には同じようにですね。
C.P: ボクはバイダーベック派の音楽にはあまり詳しくないんですが、現在、プログレッシヴ・ミュージックとしてやビバップとして知られている事柄は、我々の音楽の先輩たち;バッハ、ブラームス、ベートーヴェン、ショパン、ラヴェル、ドビュッシー、ショスタコーヴィッチ、ストラヴィンスキーなどから鼓舞されたり改造したりしたものではありません。
J.McL:それでは本当に重要と考えている人は、勿論貴方を除いてですが、誰で誰が明確に音楽の在り方に不満を感じ、実験を始めたと思いますか?。
C.P: ええ、ここで訂正をさせて下さい。我々は不満を感じていたのではなくて、もう一つの概念がやって来て、それが我々が行かねばならないと思っていたものだったんです。その間じゅう1945年より少し前の1938年の事ですが、ディジィー・ガレスピー、セロニアス・モンク、ケニー・クラーク、チャーリー・クリスチャン、1937年かな、バド・パウエル、ドン・バイアス、ベン・ウエブスター達がね。
J.McL:音楽史の有名人ばかりですね。 さて、ミュージシャンのカテゴリーと流派を分類するのが難しいのは判りますが、それはさておき、今日は聴いたグループを七つのカテゴリーに分類しました。そこで私は音楽についてだけでなく、これらの各フォームの将来について貴方がどう感じるかを質問させてもらいました。たとえば、初期のもの、つまり、はっきり言ってディキシーランド、今も皆が聞いているものですが、これは今でも多くのクラブで演奏されていますね。ただ単に大学生やそういう人たちを満足させるために。プレイヤーは本当にやりたくてやっているんですか?。
C.P:ボクは敢えて彼等は正直にやりたいからやっているんだと言いたいですね。それが彼等の概念ですしアイデアなんです。彼等がそうすべきだと思ってやっていることなんです。
J.McL:それが彼等がいつも、いつまでも“ハイ・ソサエティー”や“聖者が街にやってくる”をやっていると言うことなんですね?。
C.P:そういう時間もないし、これが何時まで続くかを君が告げるのは世界中にすべがないんですよ。
J.McL:ざっと同じように.すべて同じ......。
C.P: ええ、ざっと同じにね。ええと、それが骨格で音楽が確かにそうなっているんです。メロデイ・コーラス、人から人へ伝えられた一寸したアドリブ・コーラスが有り、彼等は昔のソロを尊敬しているんですよ。判るでしょう?そう、インプロヴィゼーションよりも。自発的インプロヴィゼーションよりもね。
J.McL:ですが貴方はこのてのものに全然興味が無いように思えるのですが。
C.P: ボクはディキシーが好きです。良いディキシーがね。ボクがそれを演奏しないのは、ともかく、そのほうが良いからなんです。思うにそれは遣り方の違いですね。
J.McL:それではビバップを演奏しないが、ディキシーのお定まりの演奏には飽き始めているミュージシャンについてはどうですか?彼等の音楽を何と表現していいか判りませんが。つまり、ヴィク・ディッケンソン、ドク・チータム、レックス・スチュワートのような素晴らしいミュージシャン達で、特にディキシー中毒ではないのに、それを演奏している連中。これを何と呼んだらいいのかな?。
C.P:ええ、それはスィング時代に遡るんですが......そう、ディキシーランドは‘14年から‘15年頃で、スィング・イーラは1928年からきて1935、6年には終わったんです。ご存知のように、それがスィング・イーラだと言いたいでしょうし、そう分類出来るでしょうね。
J.McL:勿論.まだ古いスィング・ミュージシャンはたくさん居るし、最近ダウン・ビート誌でナット・ヘントフが指摘しているように、しっかり仕事をしています。聴取者は大まかにしっかりとディキシーランドと“クール”ミュージックを分けていますから、スィング・ミュージシャンには両者の真ん中の部屋空間は無いように見えるもののね。
C.P: ああ、それは違うようにしたいし、違うことを願いますよ。実際のところ、ミュージシャンにとっての部屋は何時でも有ります。そう言う中間派みたいなことではなくて道は一つです。つまり、良い音楽か、そうでないかのことです。スィング、もし皆さんが言いたいのならビバップ、それからディキシー、とイディオムは違っても、それは良いものが聴かれるんです。
J.McL:ビバップの成長過程に居たのに、その幾つかの標準化したクリシェを使ってゴー.ゴー.ゴー.と喚くような聴衆に媚びるようなミュージシャンについては、どうお考えですか?。
C.P:そう言う、一部の人たちに媚びるようなことはしたくないです。よく知りたくもないですね。と言うのは、そう言う演奏をする連中でも良ければ残るのだし、もし、彼が音楽を商業化するのを試みたって、残るものは残るんですから。
J.McL:他のグループで実験的なもの、私自身夢見るクラシック的ジャズ、良く学んでいて彼等が教育された音楽に良く適合しているグループ、つまり特定するとデイヴ・ブルーベック、ジェリー・マリガンのことですが、ジェリーはピアノが担っていたどんなハーモニーもなしに殆ど全く対位法的音楽に献身しています。彼等については、どう感じますか?。
C.P: ええ、今言った二人ともボクの特別な親友です。また、友達じゃなかったとしても彼等の音楽にはとてもとても興味深く感じますね。知的な立脚点だけでなく、それはとてもインテレクチュアルな音楽だと思うし、いい演奏をしていますよ。フィーリングはいいし、何も失っていません。実に音楽100パーセントと思います。
J.McL:もし、彼等のグループに入り一緒に演奏するとしたら、貴方自身どう感じるでしょうか?。
C.P: それはとても魅力的ですねえ。やってみたいな。
J.McL:他のグループで、先ず第一の例として、前衛と呼ばれるレニー・トリスターノについては?。
C.P: あはは。
J.McL:時々彼等が試みるのがありますね。テーマのない完全なインプロヴィゼーション、稼動すべきコードチェンジのないの、それがどうなろうと、集団即興を6人で。特別難解なのが常に私を打ちのめすのですが、どうしてそれが第一義的に可能なんでしょうか?。
C.P: おっしゃるように最大限の即興ですね。それでよく聴いてみると、そこに貴方がたはコードの中にうつろって行くメロデイを見出しますし、どんなコード構成の連続も有るし、優位を占めるメロデイを作っているのがレニーのスタイルにはあって、彼等には多少ともそれが聴かれ感じられます。
J.McL:そこで特に言及すると、彼等は“インスチチューション・直感”と言うレコードを作っていて、私もコンサートでキー無しコード無し何もなしで始めたのを聴きましたが。
C.P: あは、それは盛り上がったでしょう......。調性と和声構造の両方が出来てしまってメロデイを創りがちなんです。
J.McL:そうなるでしょう。それでは違う分野で独自な立場を取るデユーク・エリントン、ウデイ・ハーマンに書いているラルフ・バーンズ、そして君が興味を持っているスタン・ケントンについてですが、スタン・ケントンについて何かコメントを。
C.P: ええ、
(ケントンをかける)
J.McL:さてケントンを聴きました。よく判るのは、このレコードには明白にチャーリー・パーカーみたいなソロイストが居ますね。
C.P: リー・コーニッツです。とてもいいアルトソロです。これは聴いたことがないが、曲名は?
J.McL:“マイ・レデイ”です。
C.P: とても奇麗だ。
J.McL:未確認ですが多分リー自身が書いたはずです。ちょっと判りませんが。
C.P: スタンはボクに特に明確に限定された興味を呼び起こさせますね。つまりプログレッシヴ・スタイルの分野の大いなる開拓者だと思うんです。前に尋ねたレコードですが、“ハウス・オブ・ストリングス”には興味ありますか?。
J.McL:かけたのは“ハウス・オブ・ストリングス”ではなくて“シティ・オブ・グラス”のほうでした。その放送で私達は、ナット・ヘントフとヘラルド・トリビューン誌の音楽批評家とで大変興味深いディスカッションをしましたけど、それに少し付け加えると、私は最近のダウン・ビートにレナード・バーンスタインが書いた記事について述べたかったのです。そこで幾つか討論しましたが、内容を、貴方のコメントのために読んでみましょう。
C.P: はい。
J.McL:(バーンスタインの記事を読む)「うぬぼれ・見栄っ張りは人に注目を喚起させるのを意味する。つまりその男が“俺に注目しろ。俺はモダーンなんだぞ”と言い立てているようだ。と言うことだ。でも、これは誰もが装う最もオールドファッションな態度なのだ。私はそれをケントンに見出すのだ。それは現代的に見えながら正に耐え難く古臭いモダン家具のようなものだ。」作曲・構成と言うものは重要な言葉であって、それは人が一つの作業としての断片を綴ることで、最初から最後までそうなのです。そこで私は特に思うのですが、バーンスタインは、少しばかりのソロイストによる少しばかりのインプロヴィゼーションは有るにしても、完全に音譜化された作品“ハウス・オブ・ストリングス”、“シテイ・オブ・グラス”に言及しているんです。
C.P: いや、君は二つの要因が有ると言っているけど。ナットが書いたと言った?。
J.McL:いいえ、これはレナード・バーンスタインが書いたんです。
C.P: そうか.レナード・バーンスタインなのか。「“俺をみろ。俺はモダンなんだぞ”などと、その男が言った。」と彼が書いたのは理解出来ますがね。だけど、そう言うことは広告エージェントの口からのでまかせだね。ご存知ですのようにスタンは決してそんな声明はしていません。彼は言っていないし、そんな有り得ないことは彼の意思ではないことはお判りでしょう。ですが彼はこのジャンルの音楽の開拓に向けてまだまだ良い仕事をし続けています。ストリングスの良さを広めたり、違う器楽構成をしたりして、正に全般的開拓をしています。音楽に対する一定の資産としてね。
J.McL:判りました。さて、貴方ご自身のグループとメンバーについてですが、他のメンバーと演奏する気はお有りですか? “アンソロポロジー”、“52ndストリート・テーマ”をよく演奏していますが、ずいぶん前に書かれたものですね。これからはどうですか?将来的にも基盤にして行きますか?。
C.P: ジョン、それはちょっと言い難いんです。大抵の人は実感出来ないけど。 人は年とったら変わり難いのはお判りでしょう?判るでしょうが、大抵のことは独創的なこととしてキテいるのが聞こえるんです。つまり或る男がホーンを吹いてアドリブをしたり書かれているのを吹く時、根源的なことをするんです。それは彼が感じる正しい経験、気候の美、山の良い眺め、新鮮な空気の息 吹、そう言う全てなんです。人は明日自分が考えるだろうことは言えませんし。それで音楽はとどまらないし、前進し続けるのだと言えるでしょう。
J.McL:そして、貴方自身変わり続けるだろうと感じるのですね?。
C.P:まさにその方向で行きたいです。
J.McL:そうすると貴方の初期のレコーディングには不満足になってゆきますか?どう、お感じに?。
C.P: ボクはベストのレコードは未だ出していないと思ってます。そう言う意味で。
J.McL:そういうことですか。何か新しいものが沖合いに来ていると聞いたんですが?。
C.P: はい、2週間前の月曜日にね。12声部のやつで、クラリネット、フルート、オーボエ、バスーンと3リズムです。オーケーだといいんですが。
J.McL:発売されたら、凄く聴きたいです。ショーの結びとして、君がまだ聴いていないはずの曲をかけます。これは君に捧げられた曲だと確信しています。聴いている時間がありませんが、このスタン・ゲッツの“パーカー51”には興味が湧くはずです。(ゲッツの“パーカー51”をかける)結局、時間があって“パーカー51”を全部聴けました。スタン・ゲッツのストーリーヴィル・アルバムからの“パーカー51”で、疑いなく貴方への敬意の表明です。聴くのは始めてでしょう?。
C.P: ほんとに始めて聴きましたよ。ジョン。
J.McL:君自身のムードを捉えていると思いますが?。
C.P: はいはい。彼は本当に大したもんです。全く好きですね。これは“チェロキー”、哀調の“チェロキー”だな。
J.McL:さて、終わりの時間になりました。2回放送しましたが、今後のハイハットでのご演奏を期待します。有難うございました。
テープ起しby: パオロ・ピアンジァレッリ
& クレア・ヒコックス
訳:小田 弘一
(訳註:インターヴューの中で、バルトーク好きのバードは「芸術には革命は有り得ない。ただ変化がおそいか速いかの違いだけだ」と言う意味も期せずしていっているようだし、また一方、自分がバップをクリエイトしたとの自信も仄めかせている。娘プリーの葬式の時、バルトークを流したとも聞く。ディキシーとスイングの期間認識も一般とは違うが、ミュージシャンには、わりとそういう面があって、評論家やファンとは異なり、これが彼の実感とも考えられる。)