未発表テイク VOL.19 W849.2
フィロロジーが救った、これまで修復不可能とされていた
伝説の“クライド・バーンハート・アンド・ヒズ・カンザ
スシティ・バディーズ”
ガラス・ベース・アセテート盤4曲 プラス......
......クライド・ハート・オールスターズ、1945.1.4
サラ・ヴォーン・オクテット、1945.5.25
マイルス・デイヴイス、タッド・ダメロン・クインテット・イン・パリ、1949.5.8-15
収録曲
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- WHAT'S THE MATTER NOW? (2:44)
- I WANT EVERY BIT OF IT (2:55)
- THAT'S THE BLUES (2:58)
- G.I.BLUES (2:36)
- 4 F BLUES (2:17)
- DREAM OF YOU (2:52)
- SEVENTH AVENUE (2:54)
- SORTA KINDA (3:02)
- OH,OH,MY,MY,OH,OH (2:47)
- NYC,CLYDE HART'S ALL STARS January 4, 1945
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- . LAY YOUR HABITS DOWN (2:25)
- TRIFLIN' WOMAN BLUES (3:22)
- SO GOOD THIS MORNING (2:12)
- WOULD YOU DO ME A FAVOR? (3:07)
- NYC,CLYDE BERNHARDT'S KANSAS CITY BUDDIES, January 1945
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- . WHAT MORE CAN A WOMAN DO? (3:02)
- I'D RATHER HAVE A MEMORY THAN A DREAM (2:42)
- MEAN TO ME (2:39)
- NYC,SARAH VAUGHAN OCTET, May 25, 1945
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- . LADY BE GOOD(3:45)
- THE SQUIRRELL(3:56)
- ALLEN'S ALLEY(4:12)
- CRAZY RHYTHM(3:37)
- ALL THE THINGS YOU ARE(4:44)
- WAA-HOO(5:24)
- MILES DAVIS / TADD DAMERON QUINTET, Paris,Salle Pleyel, May 8/15,1949
Vol.19は非常に珍しいパーカーの発見である!。
有名なクライド・バーンハートのアセテート盤なのである!
このガラス基板のアセテート盤は割れていて修復不可能とされていた。我々は割れたディスクの所有権を獲得してから、それをニューヨークの重要音楽記録の修復専門家に委ねたのであって、フィロロジーが何処よりも一番最初に提供出来ることを誇りとするものである。
ずっと、このアセテート盤はジャズ写真家・ジャズ史家・プロデユーサーのフランク・ドリッグスが所有していた。ドリッグスはクライド・バーンハート自身から譲り受けていたのである。私のドリッグスへのインターヴューの中で、彼はどのようにしてバーンハートが何曲か録音するためにニューヨークのノラ・スタジオを予約し、ジェイ・マクシャン、ガス・ジョンソン、ジーン・ラミー、とチャーリー・パーカーに演奏を依頼したかを教えてくれたのである。この盤はセッティングでバードが如何に演奏しているかを明瞭に物語っているのである。
多分、バーンハートはレコード契約希望のためにしたのであろう?
セッションはスムースに行なわれた。バーンハートの唯一の不平はノラが制限時間内に早く演奏し終わって出て行くように頼んだことだった。
救出された4曲は全てブルースである。バーンハートはここではシャウト・スタイルのブルース・シンガーでもあって、これは彼が1931年にキング・オリヴァー・バンドで完成したスタイルなのである。
クライドはスィングするトロンボーン・プレイヤーで、1940年代にマクシャン・バンドを出入りしていた。だが、バードとクライドが同時にバンドにいた証拠は無い。(であるが、私は間違っているかもしれない?)
ラミー、ジョンソン、マクシャンのリズム・セクションはバンドのスタート以来全然変わらなかった。事実、チャーリー・パーカー・ディスコグラフィー第2版によっても、このリズム・セクションは1940年8月9日カンザスシティ・ウイチタのトロカデロ・ボールルームでバードとバンドを乗せているのだ!。(STASH CD 542, JUMPING AT WOODSIDE, I GOT RHYTHM)
この1945年1月のセッションでは、バンド名は、クライド・バーンハートの伝記によると、“クライド・バーンハート・アンド・ヒズ・カンザスシティ・バディーズ”となっている。バーンハートがセッションの着想を、バードが1945年1月4日にコンチネンタル盤に録音したもう一人のトロンボーン奏者トラミー・ヤングとの共演にヒントを得ていると推測するのは可能なことである。
後述するように、ヤングとのセッションもこのCDに登場する。
4曲は全てスィングするブルースで、ヴォーカル・コーラス、一つか二つの器楽コーラス、クロージング・ヴォーカルから成っている。これらの曲の重要性の全てはバードの存在によるのである!。
“TRIFLIN' WOMAN'S BLUES”と“WOULD YOU DO ME A FAVOR” の題名の2曲は歌そのものがタイトルの由来になっている。他の2曲は、このような由来はない。最初の“LAY YOUR HABITS DOWN”で、パーカーはバーンハートのヒップでブルージーなジョー・ターナー式ヴォーカルにオブリガートを付けている。パーカーのソロはやり過ぎず保守的ですらあるが充分にスィングしている。バードはリードのトラブルに悩まされている。
“TRIFLIN' ”のパーカーのオブリガートは爽やかなもので、ソロは幾つかのクラシック・バード・リフを大いに想起させる!。3曲目はクライドの良いトロンボーン・ソロと、軽く空のように透明で、全てスィングしていたマクシャン時代を思い起こさせるバードのソロをフィーチュァしている。
“DO ME A FAVOR”ではバーンハートとマクシャンの良いソロが聞ける。パーカーはここで入り組んだ倍テンポ・ソロを披露する。バードはまだリード・ミスに悩まされている。
クライド・ハート・オールスターズはもう一つのスィング・トゥ・バップ・セッションで、歌手とスィング〜バップ・フロントラインのコンビネーションから成っている。ここではトラミー・ヤングと“ラバーレッグ”・ウィリアムズが歌手で、ディジィー・ガレスピーのグループにいて52丁目の有名なテナー奏者ドン・バイアスが居る。
ガレスピーとパーカーはこれが初めてのスタジオ録音での共演である。過渡的ピアニストのクライド・ハートがリーダーである。ハートはタイニー・グライムス・クインテットのメンバーとして1944年9月15日にサヴォイでの最初のバードのセッションに参加している。この有名なセッションが“タイニーズ・テンポ”と“レッド・クロス”を生んだのである。後者の曲はボブ・レッドクロスに因んでいて、レッドクロスはバードとディズの1943年冬、シカゴのサヴォイ・ホテル・セッションの録音者なのである。
クライドは1940年代前半の“ザ・ストリート”(52丁目)の常連で、このセッションが彼の唯一の彼名義のものである!。ハートはコンチネンタル・レーベルとこれらの曲の演奏録音を契約していた。このCDはコンチネンタルのディスクから録音されていて、他の全ての復刻盤より改良されたサウンドになっているのである!。
“WHAT'S THE MATTER NOW” と “I WANT EVERY BIT OF IT ”はクラレンス・ウィリアムスの作曲で、ベッシー・スミスのレパートリーの一部に使用されていた。これらの歌は正確にはブルースではなくて、クソまみれの言葉に飾られ、性的な隠喩に彩られている。
パーカーの演奏態度はファンキーで、ソロはナイス・フィーリングのガットバケット・スタイルである。
“THAT'S THE BLUES”はウィリアムズの騒々しいフラフラ声で歌われている。これは彼がベンゼドリンの入ったバードのコーヒーを飲んでしまったからなのである!。ラバーレッグスは、このセッションでハイになってしまったのだ!。
ウィリアムズはブルース・シンガーに転向したタップダンサーで、このチャーリー・パーカーとの共演ゆえに永遠化され、バードのコーヒーを飲んだ男としてジャズの伝説の一部になったのである!。
“4-F BLUES”で、バードはブギウギ・ギターに支配されたリズム・セクションと対照的なスタイルで素晴らしいソロを展開する。別テイクの “ G.I BLUES”では、バードの気の利いたオブリガートがフィーチュァされる。ここには真のブルース・フィーリングがある。曲は“ 4-F”よりエネルギーがないが、より良いパーカーがある!。私は、この曲が何故別テイクを必要としたか判らない。
“G.I BLUES”はCD初登場である。最近のブルームーンCDには含まれていないが、この曲は重要なものと感じるのである。
次のセットではトラミー・ヤングがヴォーカルを務める。ヤングは1933年にアール・ハインズに参加し、後にジミー・ランスフォードのトロンボーン奏者としてフィーチュァされ、ベイシー・マンのディッキー・ウエルズによれば“モダーンな傾向のトロンボーン”とされていた。ヤングはスターとしてのキャリァを1950年代のルイ・アームストロング・オールスターズで終えた。
サイ・オリヴァー作曲の“DREAM OF YOU”はランスフォード・2ビート・スタイルのトラミーの十八番曲である。パーカーは素晴らしいイントロを吹き、最初のソロ・コーラスから、ディズの間奏を経てトラミーのヴォーカルを導きいれる。
“SEVENTH AVENUE”では素敵なディープ・トーンのドン・バイアスがフィーチュァされる。ディズのソロはとてもバッピッシュであり、それは一ヶ月後のギルド・セッションの“グルーヴィン・ハイ”でのソロを指し示している。この曲の歌詞はJ.C.ヒギンボサムの妹アイリーンが書いている。
“SORTA KIND”はトロンボーンのイントロに始まり、トラミーとクライド・ハートがメロデイを奏し、ディズとバードが交互にソロをする。彼らのアイデアはまるで一つのホーンが飛びかっているように聞こえる。これがディズがバードのことを“ボクの鼓動の半分”と称する由縁なのである。
“OH,OH,MY,OH,OH. ”でバイアスが再び良いソロをする。彼が如何にソニー・ロリンズ的サウンドをしているかに注目されたい。
Photo 17
Clyde Hart, 1941
"JAZZ GIANT"
by W.P.Gottlieb
次のセッションはサラ・ヴォーン・オクテットで、録音日は1945年5月25日である。ここにはバップ・シーンのVIP ディジィー・ガレスピー、チャーリー・パーカー、タッド・ダメロンがいる。このレコーディングでのサラのスタイルは、エラの抑揚やビリーのピッチ・ヴァリエーションを使わず、繊細である。ヴォーンはクールそのものである! サラはビバップ・ヴォーカリストとされていて多くの発展性のあるレコーディングやアール・ハインズ・バンドや初期のバード&ディズ・コンボのような重要なバンドヘの参加者としてその存在を知られている。彼女は1945年5月11日のギルド・セッションにも参加していて、パーカーとガレスピーをバックにラヴァー・マンをメロディックに歌っている。
5月25日の彼女の業績は、その時の彼女の歌唱が美しかっただけにとどまってはいない。ベストワークはアップテンポの“ミーン・トゥ・ミー”に聞かれる。バードがイントロを吹いてから、サラがメロデイ・コーラスに入る。フリップ・フイリップスの半コーラスからディジーのソロになり、バードの8小節ソロからサラの歌で締めくくられる。
パーカーはスィング・イーラの申し子であり、それがトラミー・ヤング、ラバーレッグ・ウィリアムズ、クライド・ハートとの自然な共演につながっていることに注目しなければならないのである。 ではあるが、バードは、彼のスタイルだけでなく、次の15年から20年と考えられるジャズの行方をも変えたのである。それは、このスィング・トゥ・バップのミックス・コンボで実に自然に適合しているのが聞けることからも証明出来るのである。スィングのミュージシャンたちからも、とても好かれていたことが窺えるのである!。
キング・オリヴァーで名を成し、“ニュー・ミュージック”が好きではないと公言したルイ・アームストロングでキャリアを終えたクライド・バーンハートがバードを好いたのも興味深いことではある!。
にも関らず、バードは音楽的にルイを褒め、彼のソロで、“ウエストエンド・ブルース”のカデンツァを何度も引用しているのである。
©1995、DR. ロバート・ブレグマン
若し、我々の尊重すべきリスナーが私のチャーリー・パーカー・ディスコグラフィーに掲載されていないバードの演奏か情報をお持ちでしたら、どうぞ下記まで御寄せ下さい。
Dr. ROBERT BREGMAN,
70 DELISLE AVE.APT714,TORONTO,
ONTARIO,CANADA M3V1S7.
どんな場合でも可能な限りそうしているように、フィロロジーはこのCDで重要な埋め草を提供しております。その追加とはバーズ・アイ・シリーズにとり特に適切でなければならないもの、即ちタッド・ダメロン、マイルス・デイヴィス・クインテットの6曲の未発表テイクであります。これは1949年パリのサル・プレイエルにおけるヨーロピアン・ジャズ・フェスティヴァルの伝説的夜の演奏であります。5月8日から15日の同じ時、チャーリー・パーカー・クインテットは同じステージに登場していて、それはシリーズVOL.10,11,12(W200,W622,W842)に全て収録されています。
この未発表のマイルス・デイヴィスでファンは幸運にも最高の機会を得て、コンサートの全貌を聞くのが可能になりました。皆様がコロンビアLPの JC34804,JC34908の九つの演奏でご存知のような、賞賛されるかどうかは知りませんがマイルスの精力的リリシズムを聞け、最も革新的なビバップ・ドラマー.ケニー・クラークの全盛期をコンプリートに聞けるのであります。
タッド・ダメロンも同様に革新的作曲とアレンジによりコンサートを画期的なものにするのに貢献しています。
フィロロジーはこの失われていた“プレイエルの夜”のサウンドをお届けできるのを光栄に感じます。
Dr. パオロ・ピアンジァレッリ
訳:小田 弘一
Photo 18
James "Trummy" Young
"JAZZ GIANT"
by W.P.Gottlieb