未発表テイク VOL.20     W850.2


"THE GREAT LIE"
新発見のチャーリー・パーカー・ジャム・セッション!、
1952 or 1953
セント・ニコラス・アリーナ、1950年2月18日
タッド・ダメロン・テンテット1949、 ロイヤル・ルースト・セッション
完全版

収録曲

  1. 52nd STREET THEME (III) (3:30)
  2. PERDIDO (3:30)
  3. I CAN'T GET STARTED (1:19)
  4. 52nd STREET THEME (IV) (2:59)
  5. ANTHROPOLOGY (2:17)
  6. 52nd STREET THEME (V) (0:34)
  7. GROOVIN' HIGH (4:29)
  8. 52nd STREET THEME (VI) (0:27)
  9. CHERYL (2:55)
Charlie Parker Quintet, New York City,St.Nicholas Arena, February 18, 1950
  1. GROOVIN' HIGH (4:14)
  2. THE GREAT LIE (4:17)
  3. BLUES(Traditional) (3:59)
  4. HOW HIGH THE MOON (4:32)
Charlie Parker Jam session, Private Session,NYC, 1952 or 1953
  1. INTRO by master cerimonies
    into GOOD BAIT(6:09) UNISSUED
  2. WEBB'S DELIGHT(2:54)UNISSUED
  3. FOCUS(4:03)UNISSUED
  4. WAHOO(3:54)UNISSUED
TADD DAMERON TENTET, New York City,
Royal Roost, February 12, 1949
  1. GOOD BAIT(3:22)
  2. FOCUS(3:55)
  3. APRIL IN PARIS(2:56)
  4. WEBB'S DELIGHT(3:38)
TADD DAMERON TENTET, New York City,
Royal Roost, February 19, 1949
  1. MILES(3:37)
  2. CASBAH(3:40)
TADD DAMERON TENTET, New York City,
Royal Roost, February 26, 1949

 チャーリー・パーカー・クインテット
1950年2月18日、ニューヨーク市セイント・ニコラス・アリーナ:
 この体育館はボクシング試合に使われていた。だが、その夜はダンスホールに転用され、その夜の“カード”はレッド・ロドニーのトランペット、アル・ヘイグのピアノ、トミー・ポッターのベース、ロイ・ヘインズのドラム、それからジャズのヘヴィーウエイト・チャンピオンのバードからなるチャーリー・パーカー・クインテットだったのである!。
 その夜の曲の大半はデビュー/ファンタジー・レーベルの“バード・アット・セイントニックス”でオリジナル発売されていて、最近CDもリリースされた。
9曲がオリジナル・リリースの時、発表され、私家盤ZIM1007にもある。
 これは、その最初のCD化である!。
 演奏はテナー・サックス奏者ドン・ランフェアにより録音された。ランフェアはファッツ・ナヴァロとの初期のプレスティジ・レコードでの共演でバッパーとして知られている。ランフェアはテープの音をイコライズし、スピードを正常にした。これは更に最終的にフィロロジーのエンジニアーによって直されている。
 1950年はパーカーにとり特記すべき年であった。彼の演奏には巨匠の貫禄が滲み出していた。バードは、この貫禄をセイント・ニックスでリラックスしスィングしながら彼の音楽に示したのである。
 “52ndストリート・テーマ”が6回存在しているので、少なくとも3ステージであったと推測される。何故なら、テーマは各ステージの始めと終わりに使われているからである。ここには“アイ・キャーント・ゲット・スターテッド”の短いソロ、素敵にエネルギッシュな“アンソロポロジー”と“グルーヴィン・ハイ”、そしてブルースの“シェリル”などがある。
 残念なことに、曲の頭とパーカーのソロだけが録音されている。(そうでもなくて、ディーン・ベネディッティの場合ほどのブツ切れ感はない)。これはディーン・ベネディツティが始めた伝統なのである。ディーン・ベネディッティ、ランフェア、アル・ポーチノ、ジミー・ネッパー達がパーカーのライヴ・パーフォーマンスを録音するのに永い時間を 掛けた事に対し、賛美の意が表されねばならないのである。
 ミュージシャンによる私家録音はアーティストのキャリアの最重要のドキュメントだから、スタジオ・セッションと同等に扱われねばならない。
 パーカーの場合、その展開は正に魅惑的なのである。
1940年のバードの“ボデイ・アンド・ソウル”のアセテート盤や1941〜42年の素晴らしい“チェロキー”のアセテート盤などはパーカー自身により録音されたのである!。バードはこれらのアセテート盤を友人にあげたり、時には公衆に公開した。初期の撒くマクシャンのKFBI局のレコーディングは彼ら自身でやったし、ボブ・レッドクロスがアール・ハインズ楽団在籍中のシカゴでの(1943年の)録音をした識見は、今まで判らなかったことを明らかにしたのである!。
 ディーン・ベネディッティがアセテート盤カッターで記録したバードのプレイの断片も、そうしたからこそ貴重な記録として生き残ったのである。ベネディッティのバードのアセテート盤、ワイアー、テープの獲得の可能性にチャレンジする全ての年代の録音者を奮い立たせたのである。
 チャン自身もバードにプレゼントされたテープレコーダーでパーカーの音楽を沢山の時間、録音する責任に応じた。チャンは約8時間分の録音の内いくつかをコロンビアに売却したが、コロンビアは10年以上もその財産に光を当てていないのである。何時の日かコロンビアがリリースするのを希望するものである!。
 ボリス・ローズがラジオ放送をテープ録音し、寛大にも広く一般に売ったことと、彼自身もそのソースを使ってレコードをリリースしたことにもより、パーカーの私家盤は広まり、この努力によりバードがより多くのコレクターに届くことになったのである。(訳注:ローズは買いにきた客の求めに応じ、その都度アセテートにカットして切り売りした。それが1970年代に出まわったAltoやOkidoke盤なのだがデータが書かれていず、アナウンスもカットされているので、その内容が現在分析の対象になっている。)
 このような種々のレコーディングをフォローするために、私は
 YARDOBIRD INC.
"THE CHRLIE PARKER DISCOGRAPHY",
CADENCE NORTH COUNTRY,
REDWOOD,NEW YORK 13679,U.S.A.
の購入をお薦めします。この本は高価でなく、パーカー・コレクターとジャズ史家に必携のものであります。(筆者との論議の基礎資料としても)。

チャーリー・パーカー・ジャム・セッション
ニューヨーク、1952 or 1953年私家盤:
 次のセッションは新発見の希少なパーカーの資料である。4曲が、その存在を知られていなかった!。デテールは最善にして神秘的でもある。
 演奏は私自身と協力者(レナード・ブコウスキーとノーマン・サックス)によってチャーリー・パーカー・ディスコグラフィー第2版にセッション187としてリストアップされているものである。
 書くに当たって、グループは殆ど“不明”として分類されねばならなかった。その中で、ジョン・ニールスンかも知れないトランペット、フレディー・グリューバーのドラム、多分チャーリー・ケネデイのアルトが推定された。また、ベニー・ハリスとアレン・イーガーのアルト!?がいるとの資料もある。
 テープは我々が匿名の有名なミュージシャンから受け取ったが、何のインフォーメーションもなく、そして、この人物はそれ以上の情報をもたらさなかったのである。
 音楽はアセテート盤に録音されていて、それは断続的な“アセテート・ロック”(?)により証拠づけられる。全部の曲はしっかりアレンジされ、フリー・ブローィングなジャム・セッションでは無いことを示している。このことは、これは多分スタジオ・レコーディングであって、多分レコード契約希望のためのテスト盤ではないかと私に推論させるのである!。全曲ともソロ・オーダーと時間制限のあるアレンジなのである。

“アンノウン・ブルース”:12小節のピアノ・イントロからバードの2コーラスのソロニに入る。何時も前から聞いているフレーズだが、パーカーの聞いたことのないリフがある!。この理由から、これはバードのように聞こえないとも言えるし、そうだとも言えるのである!。
 疑問の余地無くテープをスプラスしていないし、その証拠も見られない。バードのソロは充分に強力だし、スィングしている!。ソニー・スティットが居るのだろうか!?。
 トランペットはアイデア不足である.ピアノはオフ・マイクで録音されている。曲はよくアレンジされ、特にブルースで著しい!。アンサンブル・パッセージで、他よりはるかにビッグ・サウンドで迫ってくるはずのバードが聞こえてこない。それが何故私が噂の出所を質問しているか、なのである。しっかりしたアレンジメントは、私に、パーカーの与えた音楽の可能性の拡張にもうひとつの側面を示した、初期のフィル・ウッズとジーン・クイルを思い起こさせるのである。
 フイナーレの曲は“ハウ・ハイ・ザ・ムーン”で、“グレート・ライ”の始まりのように過度にアレンジされている。バードは力強いソロをする。これもまた、バードがずっとやってきたアプローチではないが、このような高品質の演奏ではバードが他の姿勢を取ったと考えるべきである。合奏は興味深い対位法をする。もうひとつのアルトが趣味の良いソロを取る。
 これは確かに興味あるユニークなパーカー作品であります。若し、皆様の内の誰かが、これについて何か情報をお持ちか、また、私のディスコグラフィーに含まれない希少なパーカー・セッションをお持ちなら、第3版を出す前に聴かせて戴ければ光栄であります。
               Dr. ロバート・ブレグマン

VOL.15の訂正(パーカー&ジーン・ローランド・オーケストラ):
 オレゴン州ポートランドのラジオ・パーソナリティー、ドン・マニングによると、バードにインターヴューしたのはドン・ランフェアでエディー・バートでは有りませんでした!。また、踊っているのはバードではなく、“リトル(訳注;プリティー?)ガール・イズ・ライク・ア・メロディー”をやるよう頼みにスタジオに入ってきた少女でした。有名な1950年5月1日のマーシャル・スターンズのインターヴューでパーカーはジーン・ローランドのギグ(PHILOLOGY Vol.7 )の理由を語っています。
 この重要なCDには今まで一度もレコード化されなかった1949年2月12日のタッド・ダメロン・テンテットのロイヤル・ルースト・セッションのライヴ完全版が納められています。(レナード・ホーキンスがマイルス・デイヴイスと交代)放送記録はアレンジャー/コンポーザーとしてのタッド・ダメロンの天才を示しています。かれは疑いなくビバップ・アレンジの巨人であり、多分、新旧のバップ曲アレンジに最も成功した最初の人物なのです。この8曲は、その広大なる証明なのであります。
 Dr.パオロ・ピアンジァレッリ
 訳:小田 弘一


Photo 19
St.Nicholas Arena, November, 1959 by "Jazz A History" by Frank Tirro - 日本語版