ロンドン・クリスティーズのオークション

 ロンドンで,なにがあったか? 帰りは,少しのパリ・・・

[バード] の遺品とロンドン (#1)   9/05/94 (辻バード)

 ボクは,明日の朝,ロンドンへ出発します。

 急に持ち上がった話しなのですが,ボクの入院検査の日程を,延期(一方的に)してまで,行かなければならないほどの凄い!! イヴェントだからです。

 "BIRD・THE CHAN PARKER COLLECTION AT CHRISTIE'S SOUTH KENSINGTON"

 つまり,チャーリー・パーカーの未亡人であるチャン・パーカーが,パーカーの遺品を競売に掛けるという空前絶後のオークション なのです。ボクは,既にこの競売に参加する資格を獲得しました。事前に行われる「内覧会」やパーティーにも参加出来ます。世界の [バード]研究家が一同に会する全ったく類のないチャンスです。

 これは,ボクの40年来の友人である小田弘一氏の計らいで実現したのです。彼も,ボクと同様にチャーリー・パーカーの熱心な研 究家なのです。それから,おなじみの40年来の友,吉野隆一氏も一緒に行くことになりました。バイロイト・ビール・ワイン研究の 旅に引続き,素晴らしく楽しい,内容の濃い旅になることでしょう。

 折角,ロンドンには4泊しますので,吉野氏小田氏ともども,またビールの研究を行います。これで,ボクは世界の3大ビール国で あるドイツ・ベルギーそれに英国を,8月と9月に掛けて「口を現地に持って行って」味わうことが出来るのです。村上満氏の英国に 関する部分を今全部コピーしたところです。これを読みながら,ロンドンのパブでビールを研究することにします。

 それから,帰りには又パリへ寄って,勿論!! 9月のワインを味わうこともします。まだ早いとは思うのですが,暑い夏を越したワ イン達は,少しずつ目を醒ましているかもしれません。さきほど,GUY DE LA SERVE 氏にも連絡しましたので,彼もパリへやってくる でしょう。

 ともかく,短い旅ですが,長年濃い付き合いをしている2人の友人,同じ趣味や人生を分かちあって来た友と一緒ですので,ボクは これほどの喜びはありません。今回は男性だけの旅なのが,少し,寂しいところです。しかし,それだけ,少し「気狂いじみた」行動 が出来るでしょう。8月には,ボクと吉野氏のビールとワイン研究に,ご夫人たちは,だいぶヘキヘキした面もありましたから。(笑)
 では,行ってきます     辻バード

[バード] の遺品とロンドン (#2)    9/06/94 (辻バード)

 今,これはロンドンのホテルからです。
あまりご存じない人がいると思うので,チャーリー・パーカーとボクのことを少し説明しておきます。ボクが生まれて初めてパ ソコン通信に書込みをしたのが,1986年の終わり頃でした。それは安田幸弘氏がシグオペをやっていたアスキーの実験ネットです。

 そこへ「新宿の辻バード」というハンドル名で,サボイの全集がCDで出る話しを書いたのがきっかけです。バードはパーカーの ニックネームですから,それは相当心臓の強いハンドル名の付け方でした。でも,それからずーっと辻バードできてしまったし, 原稿もこの名で書いてきたので,いまさら変えるわけには行きません。

 ボクがパーカーの音楽に出会ったのが,1952年ですから,もう40年がたってしまいました。その間,少しの断絶はあっても,執 念深く彼の録音を収集し,今では昔「夢のようだ」と憧れた録音も大抵は所持しているようになりました。

 ACS のスタート時に,ここの音楽シグで「貴方とバードと音楽を」いう対談を安田さんとボクがしたことがあります。これを読 んで頂けると,ボクが体験したチャーリー・パーカーとの出会い,それから当時の日本におけるジャズの状況が詳しく分かると思い ます。この対談は現在はGS ongaku に残っているかもしれません。それと,安田さんがdBASE 上で作った,世界初のチャーリー・パー カー・ディスコグラフィーもpoolにあると思います。当時の熱気を帯びた研究がボクのバード熱をますます高めたことは疑いあり ません。
 from London 辻バード

[バード] の遺品とロンドン (#3)    9/06/94 (辻バード)

 ところで,9月号の「スイング・ジャーナル誌」に以下のようなニュースが載っていました。

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 「ジャズ史上不滅の天才チャーリー・パーカーの生誕日(8/28) にニューヨークで催される第2回チャーリー・パーカー・ジャズ 祭のプログラムが発表された。」
 「パーカーが晩年の数年間住居としていた建物(Ave. B151) が正式に国の文化遺産に指定されて,今年はその認定式も同時に催 される。」 ****************************************************************************
 いよいよ,アメリカでも,パーカーを国民的な天才芸術家として認め始めたということだと思います。
パーカーが死んで,すでに40年がたっています。しかし,彼の残したさまざまな録音は,世界中のコレクターの手によって, 次々と発見され復刻され,今,我々の目の前に全貌を現わそうとしているのです。
 from London 辻バード

[バード] の遺品とロンドン (#4)    9/06/94 (辻バード)

 同じ「スイング・ジャーナル誌」の9月号に,これからボクが参加するオークションの記事も出ています。

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 「ジャズ史上最も偉大なサックス奏者のひとりチャーリー・パーカーの遺品の数々が,9月8日に英国・ロンドン市内の, サウスケンジントンで開催されるオークションに登場することになった。」
「出品される品々は,パーカーの未亡人である, チャン・パーカーが所有していたもので,契約書,小切手,自筆の楽譜などに加え目玉としてあのマッセイホールで彼が吹い た,プラステティック製のアルトサックス」が出品されるという
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 これは多分,落札価格は600 万円から1千万円位になるのじゃないかしら?
しかし,1955年に,貧窮のどん底で,麻薬でボロボロになって死んだパーカーが,天国(もしくは地獄)で,これを聞いた ら,一体どんな気持ちなんだろう。
 from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#5)    9/06/94 (辻バード)

 これから,吉野氏小田氏ともども「内覧会」へ出かけます。
   from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#6)    9/06/94 (辻バード)

 おおっ,試しにオンラインで上のレスは書いたのですが,これが出来るようになった。端末固定は全部2400bpsです。圧縮は解除です。 色々と「研究」することがあって,忙しいぞーー。

 では,イングリッシュ・ブレクファストをタラふく喰って,いよいよ,内覧会へ出かけます。だんだんと興奮が盛り上がる。小田氏は, 「辻さんの部屋へ電話かけても,通じない!!」と困ってるから。これでオンライン書込みの実験は終わりです。
 from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#7)    9/07/94 (辻バード)

 ロンドン・サウズケンジントンのクリスティーズにおける「パーカー・コレクションの内覧会」へ行ってきました。
もう,目がクラクラするようなものが,本物が沢山展示されていました。次々と見て行くうちに,なにか胸が熱くなっ て,1時間もすると,もう疲れ果ててしまいます。

 しかし,一番ボクを圧倒したのは,そこに集まってきている人間です。凄い人々がきています。パソコン通信の限界で すから,ここでそれらの人を勝手に書いていいのか,それが分かりません。だけど,パーカーを真剣に研究している人が 沢山来ていることは間違いありません。それはボクや小田さんや,吉野さんも含めてです。

 その上,それらの人々は非常にフランクに,なんでも話します。聞いていて,興奮してしまうような話しがボンボン出 てくるのです。ボクは,安田幸弘氏が作った電子的パーカーディスコグラフィーの話しをある人にしたら「ぜひそれを送っ てくれ」ということになりました。それは非常に重要な人物です。10月初旬にまたニューヨークで会うことになるでしょ う。これは,jo jo さんからでもぜひ安田さんに教えて上げて下さい。

 パーカーの研究は無限です。チャーリー・パーカーは20世紀のモーツアルト(いや,ある意味では,それ以上)です。 この遺品が,オークションによって,沢山の人に分散してしまう。これは人類文化にとっての不幸です。ボクは,あらゆ るアメリカ人にそのことを話しています。「今すぐ,クリントンへ緊急電話して,これを国家予算で全部買え!!」ボク はそう言っているのです。だけど,それはもうダメでしょう。

 ボクたちは,もうこの貴重な遺品を2度と一堂に会して見る機会はないでしょう。残念です・・・涙が出ます。
 from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#8)    9/07/94 (辻バード)

 さて,ボクたちは,これから再びクリスティーズに戻り,6 時からのプライベイト・パーティーに参加します。

 再びここで,あの,世界のパーカー研究家たちと会うことになります。さっき会った人に加えて,もっと沢山の人に会 うことになるでしょう。
ボクは,重要な人物から,これからのパーカー未発表録音の可能性も聞きました。映像のことも聞きました。

 はるばる,入院検査予約を取り消してきてまで来たけど,ボクは幸せです。それに,小田さん吉野さんと,一日中色々 なことを議論している楽しさ。これはなにものにも代えられないと思います。英国料理や英国ビール(ビター・エール・ コールドラガー)も少しづつ研究を始めました。パブにも,昨夜,今日の昼,もう4軒は行きました。

 「食い物は不味い」しかし,ロンドンは魅力的な街です。 但し,人間と会話する楽しみが絶対に必要です。あのニガイ ビターをチビチビ舐めながら,突っ込んだ会話をする,それでロンドンが活きてくるのです。

 さて,もう出かけます。ボクは薄いジーンズ地の上着に,濃いピンクの蝶ネクタイ,シャツはスモークド・ブルー。そ れに,薄い麻地の裾の長ーーいコートを着ています。吉野氏が「ヴォータンのようだ!」と言ってくれました。果たして, ワルハラの城は手に入るのか?それとも,神々の黄昏が訪れるのか?それは,これからの2日が決定します。ともかく, 今日は序幕です。続きを楽しみにしていて下さい。
from London 辻バード

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[バード]の遺品とロンドン (#9)    9/07/94 (辻バード)

【パーカーコレクション・プライベイト・パーティー】 by 辻バード

 凄い夜でした!!!!!!!!!!!!!

 なにせ,世界のパーカー研究家が集まったパーティー,そんなことが実在したのです。

 ボクは,もう書いてしまいます。まず,ロス・ラッセル(元ダイヤルレコードの社長,「バードは生きている」の著者etc.)イ ギリスのスポットライト・レコードの創始者トニー・ウイリアムス,それに,あのスタッシュレコードの収集活動家某氏(これは 秘密)それに無数のジャズジャーナリストや研究家,TV やレイディオインタビューワー。ともかく,ボクは卒倒しそうな現場で, 懸命に色々な人と話しをしました。

 我々3人は,そのパーティー会場で,3回も主催者に追い出されながら,上記の人達と会話してました。素晴らしい夜です。

 この価値を知っている人は,今の低水準のアスキーネットでは,まあ安田幸弘さんしかいないんじゃないかしら?それと,ボクが 40年も付合っている昔のバンド仲間です。lock さんも分かるよね?

 ボクは,もう興奮して今夜は眠れません。これでロンドンへ来た価値は十分にありました。ボクを誘ってくれた小田弘一さん, 本当にありがとう。今夜は,ボクの一生で最大の経験になりました。本当に信じあえる友達,それはなにものにも代えがたい貴重 なものです。ボクは,これで世界中にまた,沢山の友情を持つことが出来るでしょう。
 おやすみなさい。   from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#9-1)    9/07/94 (jojo)

 はい、すいません、残念ながら私は辻さん程のレベルにはパーカーの凄みは解らないんです。そのうち、段々解って来ると思うんですが。 安田さんは辻さんの言ってる事は殆ど解るでしょうね、私も音楽的な分析としてなら、ある程度解りますが、これはまた別の問題です。 しかし、世の中に素晴らしいバードのファンや研究者がまだ沢山いて、彼等が一同にかいして、その中に我等が辻さんが居て、例の調子 で話しておられるかと思うと、興奮します。
 何か自分の事のような気がします。私は人が素晴らしい体験をしたという報告を読むだけで嬉しいです。色々と想像してしまって、自分 がその場所に居るような気がします。
 「美味求心」みたいに辻さんの伝記をその内、私が書いてみるというのも面白いかも知れません。私はそういう事になるとインタビュー がしつこいですよ。
 処で、今、安田さんとやっと電話で話が出来ました、昨日はずっと留守しておられたので。このnoteの存在とかを説明しておきましたか ら、近々読みに入られる筈です、辻さん。
 -- jojo

[バード]の遺品とロンドン (#9-2)    9/08/94 (lock)

 アスキーネットで辻バードさんと知り合った頃(もう7年も前になりますか)その頃の辻バードさんは「生きている内にベネディッティ のワイヤーテープによる幻のバードの演奏が聞きたい」と事あるゴトに書き込んでいました。 それも数年後には実現し「ああ、もう死んでも良い!」と狂喜してましたが、今回バードの遺品と関係者、おおくのバードファンと直接 対面出来たわけですね。
 レセプションの会場を目を輝かせながら飛び回っている様子が目に浮かびます。
僕も嬉しくなって興奮してしまいました。
おそらく僕もバードのプラスチックサキソホンに触れたら本当に卒倒してしまうなぁ、これが、このアルトサックスがJazz を作った そのモノなんだと。
 遺品が世界中に散逸してしまうのだけはなんとしても避けて貰いたいなぁ。 スミソニアンのようなバカでかい博物館を作る情熱がある国なんだからなんとならんのだろうか。 安田さんの電子ディスコグラフィーも一緒に展示出来るようなバード記念館があれば・・・
 -- lock

[バード]の遺品とロンドン (#9-3)    9/08/94 ((要))

 辻バードさんの、興奮状態がこのパソコンの画面から飛び出てきそうです。
心臓の高鳴りが聞こえてきそうです。
チャーリー・パーカー いまだに、いやこれからも誰も越えられない天才、これはどうしようもないものです。
余りの興奮に体をこわさないように、小田さん、吉野さんと戦わす気持ちの良い会話で、不凍液が入ったワインを飲まないように、 そんなことはマンズ ナイン と思うけれど。
 --(要)

[バード]の遺品とロンドン (#10)    9/08/94 (辻バード)

 今オークションから帰ってきました。ボクの心臓はまだ大丈夫動いています。
凄い経験でした。全世界のパーカーフリークが,彼の遺品をセッテいるのです。
ボクは3つ落としました。小田さんは,2つ落としました。

 でも,そんなことより,トップレベルのパーカー研究家と友達になったことがボクの生涯の幸せです。生きててよかったーー,そんな感 慨です。
沢山のTVやラジオがボクをインタビューしました。
だけど,日本のはゼロです。バカな番組ばかり作っているけど,こんな重要なことには無視してしまう。これが日本の水準です。

 ともかく,ボクの心臓は,まだ動いています。ご安心を・・・
  from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#11)    9/09/94 (辻バード LONDON)

 【チャーリー・パーカー・コレクション・オークション】 by 辻バード

 帰ってくるなり,ベッドに倒れこんで寝てしまいました。気が付いたら,夕方7時半。
沢山のTV カメラ,緊張した観客,その中に約100人ほどの,ビッダー(セリの参加者),それに世界中につながっている電話 や FAX での参加者・・・

 ボクは755番のパドル(競売参加番号)を持って,緊張して席に座る。勿論,隣は小田さん,と吉野さん。
物凄いスピードで,一番から始まる。次々と予想を上回る価格で落札されて行く。ついに最後の3つにきた。81番だ!!これ は,なんとかボクが落札。そして,82番。これは途中で降りた。最後の83番になった。突然,ピーター・キングが現れて,この 超有名なプラスティック・アルト・サキソフォンを吹き出した。「コンファメイション」だ。それで,競りが始まった。

 あぁ,なんというスピードだ,みるみるボクが頭に描いていた価格を超えて上昇して行く。ボクは思い切って,パドルを上げて みたが。それを上回る価格が,電話で提示された。静まり返った会場。みながボクを注目している。オウクショネールが「もう, 誰もいないんですね?」と問いかける。

 それから,色々なことがあった。残念ながら,パーカーが吹いていたアルトサックスは,ボクの手に入らなかったが,ボクは沢 山の友情と,さまざまなインタビューをTV やラジオから受けた。

 もう,あのロス・ラッセルも,トニー・ウイリアムスも,スタンレイ・クロウチも,スタッシュのサックスも,沢山のイギリス やベルギーやフランスのジャズ評論家も,ボクにとっては友人である。こんな,素晴らしい,夢のようなことが,本当に人生に訪 れることがあるのだろうか。いや,本当だ。

 ボクは,3つのアイテムを競り落とした。それは,ボクにとって,自分の人生を振返る,なにものにも代えられぬ宝物だ。しか し,あの素晴らしい人物たちを知り合えたことは,それ以上の宝物である。
 from London 辻バード

 ++もっともっと詳細を書きたいのだが,今のボクは,静かに今日あったことを考えてみたい。

[バード]の遺品とロンドン (#12)    9/09/94 (辻バード)

 ニュース!!

 あのパーカーのアルト・サックスは,カンサス・シティの市長が落札したそうです。大きく今朝の新聞に出ていました。

 どんな新聞も非常に大きく写真付きで取り上げられています。
ボクが最後まで競ったのが,カンサスの市長だとすると,ボクが負けて「よかったーー」という気持ちです。来年には記念館をこの 市長を中心に作るそうですから。
 from London 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#12-1)    9/09/94 (jojo)

 辻さんは凄い経験をされたんですね、競り落とした品物に付いては、またその気があれば書いて下さい。でも、こういうイベントの 場合は何を誰が買ったかよりも、そこに誰が来ていたかが重要で、実際、辻さんがそうして素晴らしい友人を沢山作られた事の方が私 はずっと羨ましいです。
物もそれはそれで素晴らしい想い出になりますが、友情というか人間関係というのは、なかなか簡単に作れません。少なくとも相手を 認め、相手もこちらを認めないといけない分けですから、辻さんがそれだけ、その人達に「与えられるもの」を持ってられた証拠だと 思います。与えれば人は与えてくれる。
おそらくこちらが与えたものよりも何倍も素晴らしい物を。でも与える物が自分にないのに、他人に「俺にもくれ」と言っても仕方が ないのですが、そういう人間関係の基本というのが解ってない人がこの頃増えて来て私はちょっと、嫌な気分です。
そうする為に自分に人に与えられる物を色々蓄積していきたいと思ってはいるんですが、辻さんの域に達するのはまだまだ先でしょう。 頑張りたいと思っています。
 -- jojo

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[バード]の遺品とロンドン (#13)    9/10/94 (辻バード in Paris)

 昨夜は,3人とも興奮してパリへやってきました。例のナシオンの "Hotel de Cognac"へ荷物を抛りこむなり,近所のダルーへ駆け  込んだ。

 スペシアル(カキ),トルトー(カニ),ビュロー(バイ貝)等を取って,冷えたピューイー・フュメで乾杯!!旨い!!
その後,フォワグラを取って,ステーキ・サンプルを分けて食べ,ブルーイーを飲む。デセールにはイル・フロッタントで絞める。
やはりパリは旨い!!ロンドンのあの味気ない味(?) とは段違いだ。小田さんも吉野さんも,ダルーのマヨネーズに感激してしまう。 それにパンド・セーグルの旨さ。ボクらは一挙にオークションの疲れがふっ飛んだ。帰りにパリへ寄ったのは正解でした。
 from Paris 辻バード

[バード]の遺品とロンドン (#14)    9/10/94 (辻バード in Paris)

 ところで,パーカーが吹いていた,プラスティック製のアルト・サックスなんですが。カンサス・スィティーの市長が落札したのは 93,000ポンドです。 約\16,000,000.- なんです。イギリスの田舎なら,広ーい家が買えます。

 しかし,ボクは安いと思う。なにせパーカーが実際に吹いていたアルトサックスなんだから。だけど,これはやはりカンサスシティー の「チャーリー・パーカー記念館」に納められて当然のものです。出来れば,ボクが落札した3点も,ここへ寄贈したい。それは,こ のサックスと非常に関係あるものばかりなのだからです。ボクは,このサックスも含めて,この4点を狙ったのですが,もう,このこ とが分かった時点で幸せイッパイです。

 ボクと小田さんとは,どうせ,一旦ボクらが落としておいて,その後作戦を練って,カンサス・シティーなどへ売り込もうとしていた のですから。パーカー・ミュージアムの設立を要請するために。それが一挙に,直接実現する情勢になってきました。ですから,ボク はこれから,ロンドンで知り合った,世界のパーカー研究家たちと一緒になってこの博物館の実現のために活動します。そのためには, 今ボクがここに持っている3点の遺品が非常に重要になるのです。
  from Paris 辻バード

 辻バード    オークション in ロンドン

 CPSJ のみなさん!
と、言うわけで、ボクが当時リアルタイムで書いた文章がこれです。

 ボクは昔からパソコン通信の可能性を信じて来ましたが、こうやって、何年も前に起きたことでも、その時に、その場で書いた興奮を伝 えられるのです。これは素晴らしいことだと思うのです。もし、このボクの書いた文章を英文に訳したら、インターネット上で、このこ とに興味を持つ、見ず知らずの人にも伝えることが出来るのです。

 それからデーターの整理も重要です。ボクのように、もう10年も前からパソコン通信をやっている人間にとっては、データの整理がと ても大切なのです。いつでも、どこでも、必要とするデータを取り出せる。これが必要なのです。それによって、更に記憶を鮮明にする ことが出来るのです。

 若干、おかしなところもあるのですが、当時の記録としては、あの時ボクが撮ったヴィデオも含めて、これらの文章はとても貴重だと思います。
  辻バード
      christies
遺品の中でも大変貴重な、あのマッセイ・ホール出演の契約書(2枚)を落札。
Debut LP
辻バードさんが落札した、パーカー遺品の数々です。


1994年11月号の「スイング・ジャーナル」に掲載されたチャン・パーカー・コレクション・オークション参戦記。
(マウスを画像の上に置くと大きな画像になります)

辻 バード 【本名】 辻 真須彦
Masuhiko Tsuji    (TSUJI-Bird)

1932年10月23日 神戸生まれ
慶應義塾大学在学中の1952年から1965年まで、ジャズ・アルトサックス奏者。
  1986年「旅先通信」を提唱し、以来世界のどこでも、いつでもパソコンを持ち歩き通信を行う
日本チャーリー・パーカー協会会長
カンザス・シティー名誉市民
2000年11月25日(土)「SOMEDAY」にて-- パーカー生誕80年記念イベント--Bird 2000 開催。
2005年 3月13日(日)「SOMEDAY」にて〜チャーリー・パーカー没後50年の夕べ--Bird 50! 開催。
2007年 3月30日 食道ガンにて死亡。享年74歳。
ここで紹介する文は、ニフティのパソコン通信によって、旅先からパティオ(PATIO)へ書き込みしたものです。 辻バードさんが、1994年9月にロンドンで開催された、オークション参加からカンザス・シティへ寄贈した経緯、等を 中心に、書き込み文を紹介します。

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Post card, Width:15cm. height:20cm
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christies

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Stanley Crouch (born December 14, 1945, Los Angeles) is an American music and cultural critic, syndicated columnist, and novelist, perhaps best known for his jazz criticism.
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Tsuji-Bird, Ross Russell, and Ryuichi Yoshino.
Ross Russell (March 18, 1909, Los Angeles - January 31, 2000, Palm Springs) was an American jazz producer and author. He was the founder of Dial Records.

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Parker Collector, Norman Saks

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Scenery of the preview
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Scenery of the preview
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Tony Williams , on SPOTLITE RECORDS
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Tony Williams, Tsuji-Bird and Max Yoshino.

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Tsuji-Bird, Max Yoshino & Wife of Norman sax and him

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Jazz commentator, David Stonard

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Peter John King (born 11 August 1940) is an English jazz saxophonist, composer, and clarinettist.

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ピーター・キングの演奏の後、嬉しそうにプラスチック・アルトを手に取るバードさん。"マウスピースを持っていけば、吹けたのになぁ・・・ " と悔しがっていました。

grafton altsax
An early 1950s Grafton alto saxophone of cream acrylic plastic, serial number 10265, Made in London, England.

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日本経済新聞、1994年9月11日号

クリスティズ・オークション内見会の模様と、グラフトン社製プラスティック・アルトで演奏する、イギリスの ピーター・キング。曲は、 Confirmation, Loverman, Allen's Alley (Wee)。撮影はPRES小田氏と辻バードさん。編集も辻バードさんです。

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スイングジャーナル、1994年11月号