Dial Story

1. ダイアルの創立 2. パーカーと正式契約 3. レーベル1本に専念 4. ニューヨーク移転後
5. ダイアル基本方針 6. そのカタログ整理 7. そのジャケットなど 8. ダイアルその後

【パーカーと正式契約】

   この混乱したレコーディングから2週間後、ウディ・イスベルがパーカーを捜し出し、ラッセルの店に連れて現 れる。航空券を換金し残らず使い果たしたパーカーは、金も仕事もないまま、カリフォルニアに残されていたが、やがて新しくで きたクラブ「フィナーレ」に仕事をみつけていた。

   ラッセルはパーカーと一時間ほど話し合いをした。グレンデールの件についてはジョージ・ハンディとは演りた くなかったこと、またガレスピーとも今後共演する意思もないこと、そして激しい応酬の可能な、やり手のトランペッターではな く伸び伸びとした低音域から中音域にかけて暖かい音のだせる人と組む、それは例えばマイルス・デイヴィスのような男だ、と打 ち明けている。

   ラッセルは良い条件を出し正式な契約の上録音したいことを申し入れた。パーカーとの仮契約書を交わし、数日 後マーヴィンの手で正式な契約書が作られ、以降7回にわたるレコーディング・セッションがスタートすることになる。

   正式契約後の第一回目は、3月28日サンタモニカのラジオ・レコーダース・スタジオにミュージシャンが集めら れた。当時ベニー・カーター楽団と共にロスに来ていたマイルスをパーカーがくどき落とした。弱冠19才で、まだ誰にも認められ てはいなかったが、パーカーはマイルスの内に秘められた可能性を見抜いている。そしてマイルスはパーカー自身が目指すアンサ ンブルとして柔軟で、ニュアンスに富んだ演奏が可能となる格好の相手であった。マイルスはパーカーからバップの洗礼を受ける ことにより、1950年代に入りその個性的な魅力を充分発揮することになる。

   マイルスの他は「フィナーレ」に出演しているメンバーから、ラッキー・トンプソン(ts)、ドド・マーマローサ (p)、アーヴ・ギャリソン(g)、ヴィック・マクミラン(b)、ロイ・ポーター(ds)が選ばれ4曲録音した。ミュージカル・ディレクタ ー兼リーダーとなったパーカーであるが、リハーサルも最初に予定していたメンバーに入れ替えがあって、その形をなさず、前途 多難な状態で始まった。しかし結果は非常に多彩な、内容に富んだものとなった。特に「チュニジアの夜」は、5回のテイクを重 ね、二時間もかけたものだがパーカーはこの曲で初めてつまづき、他のメンバー達の間違いも多かった。そして最初のテイクでの 緊張度の高いソロは二度とできなかった。このテイクは当然ボツとなったが、あまりにも素晴らしいパーカーのアドリブ部分だけ を「フェイマス・アルト・ブレイク」として後に12インチ盤に収録した(LP905)。

   録音の際にラッセルは必ず3〜4回のテイクをとったが、SPレコードとして発売の時は、演奏全体としてのまと まりを優先している。しかしパーカーに関してはファースト・テイクがベストであり後にLP時代となって、これらの未発表テイク を入れて発売しているのは、パーカーの自然発生的で流暢なソロに終始する、ファースト・テイクから味わい深いものが発見でき ることを強調したかったからのようだ。「ナイト・イン・チュニジア」(take5)と「オーニソロジー」(take4)はSP1002、「ムース ・ザ・ムーチェ」(take2)と「ヤードバード・スイーツ」(take4)はSP1003として4月初旬に発売した。

   ライセンスの問題で経営者が商売替えしたため「フィナーレ」は突然閉鎖され、パーカーはまたも行方不明とな るが、ロス在住のハワード・マギーが、ガレージで寝起きしているパーカーを発見する。5月に入りマギー夫妻が経営の肩代わり するようになった「フィナーレ」が再開、ようやくパーカーは仕事にありつく。しかし麻薬の売人が逮捕されて以来薬のかわりに 酒びたりになり心身の衰弱は限界にきていた。そんなパーカーにせっつかれて、ようやく2回目の日取りとスタジオが設定された 。

   7月29日天井が高く設備の良いC.P.マクレガー・トランスクリプション・スタジオで行うが、ダイアル・レ コードが今後ロスで録音する場合は全てここを利用することになる。ともかく、ハワード・マギーの骨折りで録音にこぎつけるが 、麻薬の禁断症状に栄養失調とアルコール中毒が重なり、とても演奏できる状態ではなかった。資金繰りで頭を悩ます二人の経営 者は、この一日の録音は全くの徒労に終わったように思われたという。それでも4曲の録音を行う。

   急速テンポの「マックス・メイキング・ワックス」、「ビ・バップ」では、アンサンブルが支離滅裂となり、 「ザ・ジプシー」では立ち往生するパーカーをなんとかマギーが救っているが中断寸前の演奏だった。何と云っても有名な「ラヴ ァーマン」は、3曲目のものだが、ゆったりしたテンポで演奏されるが不思議にパーカーは他の3曲に聴かれるほどのひどいミス はない。演奏前に飲ませた催眠剤が効き始めたのか、冷静だった。しかし精彩を欠いた濁った音ではあったが、妖気を漂わせた苦 い感動を呼ぶ演奏だった。

   このセッションに立ち会った「ビルボード」誌の記者エリオット・グレナードが、この時のパーカーの姿を描い た短編小説「スパロウズ・ラスト・ジャンプ」が評判になりダイアル・レコードは「ラヴァーマン」と「ビ・バップ」をカプリン グしたSP1007を発売するが10インチLP(201)も含め、この発売に対しパーカーは終生ラッセルに恨みを持ち続けることになる。4 曲すべてワン・テイクで終わった後バンドボーイに連れられホテルに戻ったパーカーは、裸でロビーを歩いたり、あげくにベッド に火をつけるなどの騒動をおこすことになる。

   一方、スタジオではパーカーを除いたマギー・カルテットで2曲を録音する (SP1005、1020)。このシビック・ ホテルの事件により、郡刑務所の精神異常者収容所に入れられているパーカーは、ラッセルらの努力で、カマリロ州立病院へ送ら れ約6ケ月の療養期間を過ごすことになる。

   入院中のパーカーの様子が気になりながらも、ビジネスに精を出さなければならず、9月末カリフォルニアに 来ていたウディ・ハーマン・ファースト・ハードの各セクションのソロイストからなる臨時コンボで有名な「ウッドチョッパーズ 」の録音。「ソニー・バーマン・ビッグ・エイト」、「ビル・ハリス・ビッグ・エイト」、サージ・チャロフ=ラルフ・バーンズ ・クインテット」などの名義で9月21日5曲録音する。これらの曲はパーカー・セプテット、テンポ・ジャズメンなどの曲とカプ リングされて発売している (SP1006、1008、1009、1020 - LP210)。

   さらに10月18日には、ハワード・マギー・セクステットの録音。ラヴァーマン・セッションの時のメンバーか ら、ピアノがドド・マーマローサに代わり、テディ・エドワーズが加わって4曲録音する (SP1010、1011 - LP217)。

--続く--